「続・ドルフィーの瘤。」

第59回の粋な夜電波は、好評の「ジャズBAR〈菊〉」。
菊地先生がスタジオにサックスを持ち込んで、生演奏を交えながら、コルトレーンウェイン・ショーターの演奏の技術解説をされるという、非常に内容の濃い、貴重な放送になりました。
アフリカ式とインド式、微分積分など、独特のキーワードによる解説は、ちょっと難しい話のようですが、実はジャズの聞き方がいまいちよくわからない人にとっての、親切な手ほどきにもなっていて、すごく興味深かったです。
番組冒頭のエリック・ドルフィーの額のこぶについて、新たに明らかになった事実を報告された部分を文字起こししてみました。
前置きの「Shine」を「死ね」と読み間違えたというネタを話してしまったがために、タイムキープに狂いが生じたという焦りからか(笑)、いつになく言い間違い、言いよどみが多いようでしたので、省略したり訂正できるところは反映してみました。
こうやってテキストに起こし、話に出てきた人名や固有名詞を検索してリンクを張ることによって、自分もまたこの番組からいろいろ勉強させてもらっております。
とにかく情報量の多い番組ですが、知れば知るほど、ジャズの奥深さをひしひしと感じ始めてもいます。

チャールス・ミンガス - ライヴ・イン '64 《ジャズ・アイコンズDVDシリーズ2》

チャールス・ミンガス - ライヴ・イン '64 《ジャズ・アイコンズDVDシリーズ2》

エリック・ドルフィー(こぶ)…これは前々回…前々々回かな?…に、番組の方から投げかけさせていただきました。
あの…YouTubeなんかにね、ドルフィーの映像が数年前から上がっていて、で、ある年の…ある年って…まあ、64年ですけど、エリック・ドルフィーの没年ですね、…の4月の12日のライブと17日(※19日?)のライブが上がっていて、12日のライブではまだエリック・ドルフィーまだ瘤が付いてる…、あ、エリック・ドルフィーの瘤ってのは、中に入ってるのはアドリブ用の脳だ…「アドリブ脳」だっていうのが定説なんですけれども(笑)。定説っていうかなんていうか、日本だけだと思いますけどね。ま、東京だけかもしれません。もっと狭く、早稲田のダンモだけかもしれませんけども(笑)。…あの、定説化していて、それがですね、映像で観るともう明らかに、19日のベルギーのライブでは手術して取ってる跡があるんだ、と。そしてその4ヶ月後にドルフィーは亡くなってるわけですけども。
というわけで、12日から17日までの間に手術をしてる…ということが、物証ですね…これはひとつの、として挙がってるのだが、誰もコメントしていないという…。そんなにみんな…日本中のジャズファンを総動員しても、エリック・ドルフィーがいつ瘤を切ったか?っていう、そして切った年に亡くなっているということに興味がないかね?…という、問題提起をですね、させていただいたところ、まったくなかったわけですね、どなたも…そのことに興味が(笑)。
で、アメリカは違うよ、欧米は絶対違う…と思いまして、日本はね、ジャズ聴きが…ジャズのあれがこんななっちゃってるから、アメリカ言ったら違うよ…と思って、へたくそなインターネット検索でですね、「ドルフィー 瘤」で検索したところ、1件だけ引っ掛かりまして、アメリカでもそんな酔狂は一人だけなんだ…ということがわかりました。
グレッグ・バークという…中堅のピアニストにグレッグ・バークというのがいるので、これは同姓同名の別の人ですけども、この人はLA・ウィークリーだとか、要するに新聞の文化欄にずっとジャズ評を書いてた、1950年生まれの人なんで、もう…60歳ぐらいですかね。60ちょい過ぎなんですね。ちゃんと「ピアニストのグレッグ・バークと俺は別人だよ」ってバイオグラフ(ィー)に書いてあるんですけども(笑)。
この方、2007年から「Metal Jazz」っていう、自分で、インターネットでジャズ批評をするサイトを立ち上げてまして、ここがですね、きっかけになりました。あの…「Metal Jazz」って名前もすごく変わってますけど、ヘヴィ・メタルとジャズが好きなんですね、この人。で、どっちも評論してるんですよ。
で、いわゆる前衛ジャズ、ザッパなんかの前衛ロック、「ヘヴィ・メタルとジャズが好きだが、筆者の頭は混乱してない」ってバイオグラフに書いてあるんですけど(笑)…いますよね、そういう人ね。
で、まあこの人のサイトの文章を翻訳したところ、エリック・ドルフィーに関することがだいぶ立体的になりましたので、ご報告させていただきます。
実はですね、日本で製品になってないだけで、YouTubeに上がってるエリック・ドルフィーオスロのライブと、ベルギーのルージュのライブですね、これは「LIVE IN '64」ジャズ・アイコンズというDVDとして売られてるんですね。で、これが発売されたのが2008年だということで、…ま、大したオチじゃないんですけど、買った奴がすぐTubeに上げたと…いうとこですね。
ここにグレッグ・バーク…この人まあ…そういうような、今申し上げたようなバイオグラフを持つ人なので、文章が非常に読みづらくてですね、翻訳がですね、四苦八苦したんですが。
まあ、出だしからしてね、「死海文書はサンディエゴにある。そう、チャールズ・ミンガスのDVDにあるのだ。これは怒れる神と殉教した予言者について考えるひとつの機会である。サンディエゴ自然史博物館にある巻物には、人類の歴史にとってのターニングポイントになった、粉々の茶色い皮、つまり整然としたヘブライ語で書かれた手紙を見るためには、群衆を掻き分けて近づくことによって可能になる。時はユダヤ人の反乱が…」と、こういう感じで始まるんですよ(笑)。この調子でミンガスのライブについて、DVDに関して批評してるんですが、なので読むのが非常に…ひと言で言うと面倒くさいんですけども(笑)。
ドルフィーの瘤に関するところだけ、ちょっと早口で読んでみますね。
「ミンガス曰く、ベルリンにおける36歳での、64年のライブの3ヶ月後に満たない間、『ドルフィーの死は一種の自殺だ』と。しかし彼の物言いはいつでもそんな感じだ。ミンガスの雇用から解放された後、実際ドルフィーは糖尿病…」…糖尿病だったんですけど、この人。マイルスと同じ糖尿病です。「…糖尿病を克服せず、酷い食生活を続け、病気がちになり死んだ。いや、おそらく彼は肉体的に『第三の眼』、サードアイを失ったから死んだのではないだろうか」と、グレッグ・バークは非常に修辞の多い詩的な文章の中で言っています。
ドルフィーが先見の明があったことは疑いの余地がない」と、これはまあ…予言者であったことに疑いの余地がないという、「プロフィット」という言葉を使ってますが、これはドルフィーの最初の…、先程もちらっと早口で申し上げましたが、最初のデビュー盤…デビュー盤だから最初に決まってるか(笑)、…2枚のデビュー盤ですね。双子デビュー盤と言われております、「Outward Bound」と「Out There」。「Outward Bound」ってのは「輸出用に」という意味で、「Out There」は「ここより向こうに」という意味ですから、ま、だいたい似たような洒落たタイトルなんですが。これのジャケットを描いてる画家ですね、リチャード・ジェニングスっていうんですけども。この人が「予言者」というあだ名だったんですよね。そういうことで、そういうジャズ・オタクな感じを紛々たる…ベダンチックに散りばめてるんですが。
えーと、まあこう…いろいろありまして、「しかし、アルバート・アイラーオーネット・コールマンセシル・テイラーと違い、ドルフィーはめったに非難されることがない。彼は重力を牽引し、知性を解放したからだろう。ドルフィーの全額部をよく見てほしい。64年以前は落ち着いた鋭い眼は…」つまり、サードアイですね。「…三角形のかたちをした額の中央で突起していることに気付くだろう。あるいはヒンドゥー教の占い師は次のように語った。『目に見えない第三の眼が、予知能力、千里眼をもたらすのだ』と。ドルフィーにはそれが当てはまる」と。…というようなことがありますね。
で、ドルフィーの瘤はそういうわけで…消えていた、と。ま、DVDによってそのことがわかるのだ、と。
…その後ですね、ドルフィーは…ドルフィーの母親の証言によって…瘤を切開することを願っていたわけではないんだ、と母親が言っています。ドルフィーはヨーロッパでバレリーナのフィアンセと暮らすつもりで、もう婚約していた…了承を得ていた、と。…そのつもりでいたんですが、糖尿をこじらせて死んでしまうと…いう流れなんですね。
で、ここまでがグレッグ・バークの、非常に難解な高等的な文章の中にある、ドルフィーの瘤についてのあらましなんですが、ここにシモスコ&テッパーマンによる「エリック・ドルフィー」…間章さん訳のね。ジャズファンの方なら、「あ、それ俺表紙だけ見たことある!」っていう人が日本に何人もいると思うんですけども(笑)。こう…ジャズ喫茶に置いてあるけども、誰もページを開かない本の中の一冊ですね、これね。その「エリック・ドルフィー」の後ろの方にですね、なんとエリック・ドルフィーの生涯全公演記録が、律儀にがっちり入ってまして…ディスコグラフィーと別に。その中にこのミンガスとのツアーに関する記録が、詳細にリハーサルまで載ってるんですね。
それを見た結果ですね、ドルフィーの…ミンガスのジャス・ワークショップのこのヨーロッパ・ツアーはですね、まず映像に収められている4月12日・ノルウェーオスロ、この翌日13日にスウェーデンストックホルムに移動してリハーサルをやってですね、14日にコペンハーゲンに行きます。そして15日、16日の二日間がオフで…あ、15日一日がオフで、16日にドイツのブレーメンで演奏して、17日がフランスのパリなんですね。それで、19…これが、もう、映像で瘤が取れてるので、これがフランスですね…シャンゼリゼですね…シャンゼリゼにあるテアトル・シャンゼリゼ……あ、シャンゼリゼ劇場じゃんこれ……でやってると。これで瘤取れてるのですが、こういうふうに追い詰めて行くとですね、こう…刑事さんみたいですけどね(笑)、「オマエ、いつドルフィーがどの病院で瘤を取ったとか、そういうことに興味あるの?…ほかのあれやこれやに興味ないの?」と言われれば、ま、はっきりと「ない!」とね、言えるわけなんで(笑)、もの凄い勢いで調べたんですけども。
あの…この時にですね、トランペットの…トランぺッターがこのバンドに、ジョニー・コレス(コールズ)って人ですが、この人が、映像で12日のライブには参加して…このツアーには参加してるんですが、なんとですね、17日にツアーから離脱するんですよ。ここにですね、解説がありまして、この人がですね、ジョニー・コールズは胃潰瘍持ちだったんですけど、胃潰瘍が悪化しまして、17日のコンサートの途中、「オレンジ色は彼女の色」の前に卒倒して、ミンガス・ジャズワークショップを残し…ミンガスのバンドが楽旅を続けている間、アメリカン・クリニック…アメリカン・クリニック、これは名前ですけども、これは英語が通じるってことでしょうね。フランスのニュリーっていう場所にありますが、その病院で手当てを受けてるのね。
で、これはまあ推測になりますけど、非常に高い可能性で、ここの…ジョニー・コールズが倒れたんで、フランスとベルギー国境の近くです、ニュリーは…の、アメリカン・クリニックに、みんな一緒に行ってると思うんですね、医者にね。あるいはドルフィーは行ったと思うんですよ。そいで、ここの病院がおそらく黒人に対する、人種差別…偏見が低かったと思うんですね。
先程のグレッグ・バークのバイオの中で、母親がいろんな証言をしてるんですが、「アメリカで病院をたらい回しにされたうえに、化け物扱いされて酷い目に遭った」って言ってます、母親が。なので、アメリカの病院、嫌だったと思うんですね、ドルフィーは。それでこの時、「やった!」と思ったと思うんですよ(笑)、ドルフィーは。…で、おそらくこの時、フランスの病院…この時、ジョニー・コールズが胃潰瘍で倒れて入院しちゃった病院で、ササッと切った翌日がシャンゼリゼ劇場の演奏で、その次がリージュの演奏で、で、リージュの演奏が映像に残っている…というのがワタシの推測ですね。
この日じゃなかったら15日のオフに、単独でエリック・ドルフィーは取りに行ってないといけないので、…15日に単独で取りに行ったとはあまり思えないですね。18日にジョニー・コールズの胃潰瘍を治した病院に切りに行った…というのが、ワタシの推測です。
もしこういったことに対して知見のある方いらっしゃいましたら、番組の方までお便りくださいませ。


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