「マイクは捨てる物ではない。 廻ってくるのを待つ物だ。」

TBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波」第110回での「Few minutes unlimited」のコーナー。
現代ミニマル音楽の巨匠、スティーヴ・ライヒの楽曲にのせてマイクリレーするというパフォーマンスが、最高にカッコよかった!
そこで披露された菊地先生のポエトリー・リーディングを書き起こしてみました。

Dope – Amiri Baraka
アミリ・バラカの詩は上のリンクに掲載がありました。Youtubeのこのふたつの動画を同時再生すると、ほぼ再現できます(笑)。)

Ya!、…一万年後に回ってきたマイクを掴むよ、マイク・タイソンマイク・ベルナルドマイク・ハマー、そしてマイク・ジャクソン。
君達に共通しているのは怒りだ。英語なら「angry」、韓国語なら「ファナ」。
だからメキシコの聖地ティファナ(Tijuana)は、韓国では「テ・ファナ」…「大きな怒り」というダジャレになる。
「怒っている者が駄洒落なんか言うか」って?
知らないのか? 誰に教わったっていうんだ、襲われることを。
怒りを掴み出すんだ。呪いではなく。
耳を澄ませて怒りを聞くんだ。耳を澄ませば何でも聞く事が可能だ。
香りも、怒りも、味も、恐怖も。
耳を塞いではいけない。耳に瞼は無い。耳の夜は来ない。
耳を塞ぎ、嘲笑うことを何時誰に教わったというんだ。
襲われたからか? 敵に。
だったら自分が敵になればいい。敵になるんだ。
マイク・タイソンの、マイク・ベルナルドの、マイク・ハマーの、そしてマイク・ジャクソンの。
そうすれば誰の敵にでもなれるだろう。誰の味方にもなれるだろう。
どんな音楽にでもなれるだろう。
音楽は何にでもなれるだろう。


新しい音楽に触れた時の気持ち。それは恐怖に似ている。
ハイヴィジョンで輝く恐怖。戦場に居る恐怖。
英語で「Terror」、スペイン語で「susto」。
我々は恐怖を数える。メロディと共に。
数えるうちに新たな音楽は鳴り続ける。
誇りさえ捨てなければ。
羞恥心をテロリズムにまで育もうとする誘惑にさえ…捨てなければ、負けなければ。
やがて恐怖は音楽に変わり、それが続く。
厳密に言えば、すでに続いており、これからも続く。
しかも複数で。複数の島で。
マイケル・タイソン島、マイケル・ベルナルド島、マイケル・ハマー島、マイケル・ジャクソン島。
美しい怒り。
哲学的なバレエは、今も続いている。
ランゲルハウス諸島で。
恐怖に負けた者は、数えられなくなる。
彼等は数えるのを止め、踊るのを止め、耳を塞ぎ、やがて自分のマイクを捨ててしまう。
そして、まず音楽を失い、次に言葉を失い、次に感情を失い、取り憑かれる。
マイクは捨てる物ではない。
廻ってくるのを待つ物だ。
廻って来たら、掴む。
我々が白亜紀と呼んでいるのは、捨てられたマイクの時代だ。
大量のマイクが地層を形成する。
同志達よ!…もし君達が同志達だと言うなら、マイクは捨ててはならない。
マイケル・ジョーダンのように。マイケル・J・フォクスのように。


Ya! 10万年後も回ってきたマイクに、50年後に、今掴むよ。
自分にはもう無理だと思ってる人々にMCしたい。
今でもあの曲が好きであることは、恥ずべきことではない。
「愛と燕の歌」、「悲しみと、風と、旋律の歌」、「マグノリアの花の物語」。
白人のマイク・タイソン、黒人のマイク・ベルナルド、黄色いマイク・ハマー、銀色のマイク・ジャクソン、紫色のマイク・ジョーダン、七色のマイク・J・フォックス。
彼等に共通しているのは、踊りだ。
日本語で言うと舞踏。
戦いはほとんど音楽と同じかたちをしている。
新しい音楽を聞くと、だから…「戦場に居る気がする」。
それは無理もないことで、逃げようと思えば容易く逃げられることだ。
ティファナ、クリーヴランドテル・アビブ、釜山、アムステルダム、ユージーン、ラスベガス、トロントミルウォーキーデンバー、大阪、サンフランシスコ、シアトル、トゥールーズカンザスシティ、ヒューストン、上海、テンペ、バンクーバー、ローマ、ビッツバーグ、マンハイム、ダラス、プロヴァンス、ワイキキ、シドニー、サウスカトゥン、メルボルンワシントンD.C.…。
たった1曲でも音楽の感動はアンリミテッド。
あなたの感動は過去の、未来の、そしてたった今の、ほかの誰かの感動。

「Few minutes unlimited」。本日3つのマイクを廻した楽曲、Ensemble Modemの演奏による、スティーヴ・ライヒの「Eight Lines」は「Music Unlimited」で聴くことが可能です。