「町山智浩のアメリカ映画特電」

ここ最近急に映画を観るようになったのは、ラジオの映画批評コーナー・「ライムスター宇多丸シネマハスラー」(http://www.tbsradio.jp/utamaru/cinema/)とポッドキャストの映画コラム「町山智浩アメリカ映画特電」(http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/)に思いっきり影響されているからだったりする。

ソーシャル・ネットワーク」の第104回から更新が途絶えているのだが(多忙のためか?)、その104回分すべてダウンロードした。それを何本かずつiPhoneに入れて、再生して寝ながら聴くのが最近の日課になりつつある。
町山氏の映画解説はオタク的というかサブカル的な語り口なので、好きな人嫌いな人が分かれると思うが、自分は楽しめている。
とにかく情報量が多くて、監督の経歴、元になった映画や原作小説、舞台の背景となる実際に起きた事件やそこに至るアメリカの歴史まで、さまざまな物事とリンクさせて語るので、その作品を観ていなくても聴いているだけで面白い。観ていないものは観てみたいと思うし、観た後でもう一度聴くとさらに理解が深まると思う。
細部にいたるその知識量はすごいものがあるのだが、通ぶったインテリジェンスのひけらかしでなく、どんな作品に対しても、とことん下世話なレベルで語りまくるのが痛快。
「人がばんばん殺される」とか「セックスしまくる」とか「宇宙人や怪獣が暴れまくる」ので「=面白い」というところに着地するのは、聴いてる方が苦笑いしてしまうほど、偽悪っぽい(ポーズのところもある)が、それは「映画になんかいくら詳しくったって何の役にも立たないんだよ!…でもそれで飯食ってるオレは何なんだ…」という照れがあるからで、そういう恥と自尊心がこんがらがってこじらせているあたりが、逆に信用できるなあ。
氏の自尊心というのは、膨大な数の映画を名作駄作問わず観てきたというデータベースとしての自分の記憶において持っているわけで、「この映画みんなには難しいけど、オレには良さがわかるんだよ」というセンスの良さとかを自慢したいわけじゃない。むしろそういう鼻持ちならないスノビズムとかは町山氏が最も嫌うところだろう。
「数多く映画を観ている人ならわかる、この作品とあの作品の関連性」とか、「あくまで情報を提供しているだけですよ。最終的に面白いかどうかは観た人が判断してくれればいい」というような姿勢は潔いと思う。