「絶対の愛」

絶対の愛 [DVD]

絶対の愛 [DVD]

自宅で、キム・ギドク二本立て。
DVDでまずは「絶対の愛」を観賞。原題は「시간 (TIME)」。…なら「時間」でいいのに、なんでこんな邦題を付けてしまったんだろう。
内容をほとんど知らないままに観始めたら、…おや、主演はハ・ジョンウではないか。
「チェイサー」で初めて彼の出演作を観て、今年に入ってからも「哀しき獣」を観たばかりなので、今最も注目している俳優の一人だが、「チェイサー」以前にキム・ギドク作品に連続して出演していたのだね。「絶対の愛」の翌年に続けて出演した「ブレス」もまだ観てないので早急に観よう。
「哀しき獣」で寡黙でワイルドな役をやっていたのとは対照的に、「絶対の愛」では写真が趣味で動画の編集をしているクリエーター気質の優男。まだ今より若かったせいもあって、育ちの良い彼本来のナイーブな雰囲気が前面に出ていた。ハ・ジョンウが困った表情をしていると、オリエンタル・ラジオのあっちゃん中田敦彦)に見えてくるのは自分だけだろうか(笑)。
そのあっちゃん似のモテ男・ジウに対して、独占欲と嫉妬心の強い彼女・セヒ(パク・チヨン)の言動は強烈。ちょっと他の女性を見つめただけで、激昂し、自分への愛が冷めたのではないかと疑い、詰問する。
…韓国の女性って皆こんなに激しいんだろうか。喫茶店で大声で怒鳴り、「彼を誘惑した」と初対面の女性をも責め立てる。そんな態度を彼に咎められると、「アタシがみっともないですって? キーッ!」とヒステリーを起こし店を飛び出して行く。
日本人の感覚からしたら、こんなめんどくさい女、他の女に目移りする以前の問題で、嫌われても仕方がないと思うけれど。
韓国人には感情はダイレクトに表現する方がよいという考え方が、風土的、歴史的に培われているのだろう。葬式の時に気も狂わんばかりに号泣するシーンが、映画の中でもおなじみなように、相手の事を思えば思うほど怒りも悲しみも大きくなるのだから、罵倒も殴打も自然なことなのかもしれない。愛を確かめ合うのに、ぶつかり合いは避けられないし、それを受け入れることが愛の深さを示すことになるのだろうか。
しかし、時にはその激し過ぎる感情が狂気に変わっていくこともある。
(以下ネタバレ含みます)
この物語では、セヒは美容整形手術を受けて別人となり、再びジウに愛してもらおうとするのだ。
自分の顔や身体に飽きられたのではという懸念が、やがて愛が冷めていくのではという恐れに変わり、あげくこの大胆な行動。新鮮な気持ちを彼に取り戻してもらいたいというよりは、今の自分を強く否定したかったのだろう。その証拠に彼女は何も言わずに彼の前から姿を消す。別人に見えるほどの大掛かりな整形手術をした、その傷が癒えるまでの半年間。
当然、突然恋人に去られたジウは、混乱し失望する。自分がセヒをどれだけ愛していたかも痛感し、自暴自棄にもなる。「何も言わずに自分を捨てたあんな女のことは忘れちまえ〜」という友人のそそのかしもあって、他の女性に手を出そうとしたりもする。やがて時が経つにつれて諦めの気持ちも大きくなり、セヒのことを忘れかけてきた頃、彼に好意を寄せる魅力的な女性が現れ、そのミステリアスなところにも惹かれて付き合うようになる。その女はスェヒと名乗る整形後のセヒだった!
…んなバカな話があるかい!…と思うのが当然なのだが、これがキム・ギドク監督独特のファンタジー性によって、ある種の現代の寓話として、すんなり飲み込めてしまうのだから不思議。この虚実の混在のバランスは絶妙だ。
韓国では美容整形に対する抵抗感が低く、実際盛んに行なわれているというのはよく知られたところで、そういう現在のトピックを扱いながらも、人の愛情は見た目にどれほど左右されるのか?、外見が変われば人の内面も変わるのか?、そもそも相手の中味ってどれほど理解できているのか?…ということを半分リアル、半分例え話としてシミュレーションし提示してくれる。
しかしこの映画はそんなところに留まらない。
ジウがセヒのことを忘れてスェヒと新しい関係を築いていこうと決心しかけたその時に、セヒの名前で「再び逢いたい」という手紙を渡す。悩んだ末に、もう一度セヒとやり直したいということをスェヒに告げる(ああ、ややこしい。)
新しく生まれ変わった自分よりも過去の自分を選ばれて、自分で自分に嫉妬し、じゃあなんのためにここまでしたのかと絶望的な気分になるセヒ…(ものすごいマッチポンプ!)。
そして再会の場所に行くと、そこにいたのは整形前の自分の顔を切り抜いてお面にし、それで今の自分の顔を隠した女…。そこですべてを知って愕然とするジウ…。
この「お面」を付けた女の姿が、おぞましくも哀し過ぎる。こういうアイディアを、おそらくユーモアとして思い付いてしまうキム・ギドク監督の底知れなさに感服する。
自分を騙していたことに対する怒りと、整形などしなくても十分満足していたのに自分の愛が伝わっていなかったことに対する失望で、ここからはジウが暴走し始める。
この後の展開も凄まじい。結末も見事。(やられた〜!ということになること必至。なのであえて触れません。)
この作品は、他人を愛するということについて描きながら、失った時間は取り戻せるのかという話でもある。
過去の自分を否定するということは、今までの時間を切り捨てることでもあり、別人として生まれ変わるということは、また新たなタイムラインがスタートすることでもある。別人として生きるための新しい設定は、過去を浸食し、記憶を捏造すらしていく。そうなると今この瞬間は、どこに繋がっているのかわからなくなってくる。
…そういう時空の哲学にまで踏み込んだこの作品。やっぱり「絶対の愛」なんて邦題にしない方が良かったのでは?

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