「アニー・ホール」


ウディ・アレンの映画が好き!…と言っても、なにしろ膨大な数の作品があるし、公言できるほどの本数観てなかったりして。
それでも現在公開中の「ミッドナイト・イン・パリ」はアカデミー脚本賞受賞というのも含め、事前の評判がかなり良いらしいし、期待していて、近日中に観ようと思っている。
そんな中、ちょうど先日「IMAGICA BS」で「アニー・ホール」が放映されたのが録画されていたので観た。(ウディ・アレン監督作でも最も評判が高いとされるこの作品を今さら初めて観るという時点で、ウディ・アレン好きも何もないのだが。)
ミッドナイト・イン・パリ」を観る前に、ちょっと予習にもなるかな〜とか思って観始めたが、予習にはならないだろう、多分(笑)。
ニューヨークを舞台にした映画にこだわり続けてきたウディ・アレン監督だが、たいてい主人公は自ら演じる演じないにかかわらず、自身を投影したような理屈っぽく饒舌で皮肉屋のジューイッシュというキャラクターであることも多く、「毎回同じような映画を作り続けている」という批判を受けることも多い。ややマンネリ気味というのを意識したかどうかはわからないが、近年はヨーロッパを舞台にした作品で、また再び高い評価を受けつつあるようだ。なので、パリを舞台に1920年代の古きよきアメリカを描いた「ミッドナイト〜」と、ニューヨーク・シリーズともいえる一連の作品に繋がる手法や語り口を確立した「アニー・ホール」とでは、同じ監督の作品といっても違う系譜にあるといっていいかもしれない。
アニー・ホール」の系譜で最新版に当たる作品というなら、2009年の「人生万歳!(Whatever Works)」になるのだろう。確かに、先に「人生万歳!」を観た後で、1977年の「アニー・ホール」を観ると、急にカメラ目線で話し始めたりとか、「あ、この時からもうこういうことやってたんだ」と気付くことも多かった。
ただ、自分が「アニー・ホール」を観て、真っ先に連想したのは「(500)日のサマー」だ。主人公のキャラクターこそ全然違うが、終わってしまった恋を検証するような時間の遡り方や、女性はどんどん変わって行くのに対して、どうにもこだわりを捨てられない男の不器用さが描かれているところなど。
実際「(500)日のサマー」と「アニー・ホール」の類似点を指摘する人も多いようで、これはウディ・アレンの影響を強く受けているというよりは、温度差のある男女の恋愛を描いたときの切なさなど、ある種普遍的なものが通じているからなのだろう。
アニー・ホール」は、今観ても古さを感じない、ちょっと切ない一本。

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