「大西順子さんは〈結構、おっしゃる方〉。」

第78回の「粋な夜電波」は、ジャズ・ピアニストの大西順子さんをゲストに迎えて、楽しくも刺激的なトークの繰り広げられた回となりました。
毅然とした態度で真摯に音楽に取り組まれた結果、引退表明という決断をされた大西さんですが、その自由な精神のあり方が、菊地先生とかなり似ているのではないかと思いました。
やはりトークの相性もよく、もっと早くおふたりが出会っていて、共演するところが観たかったと思わずにはいられませんでした。
またぜひゲストに迎えて、いろんな話を聞かせていただきたいですね。
冒頭の大西さん登場の部分を文字起こししてみました。

WOW

WOW

菊地 え〜…いうわけでですね、ま、今は何でもパソコン、パソコンの時代ですから、昨日一夜漬けで慣れないウィキペディアみたいなのをやったところ…。ワタシの記憶と何年かずれてまして、94〜95年だとわかりましたが。
当時まだジャズミュージックが、ジャズフェス自体がいっぱいあって、それをテレビが中継して、地上波で頻繁に観れるという時代で、「ジャズ・エイド」という番組があったんですが、その番組をワタシなんか仕事しながら片手間で観てまして、画は観てないで音だけ聞いてたところ、向井滋春さんのバンドが出演されて、「ああ、向井さんのバンドだな。」と思いながら、なんか書き物かなんかしてたんですね。
そしたらですね、テーマが終わりまして、向井さんのソロが終わり、ピアノ・ソロに入ってます。…でもう、このピアノ・ソロを聞いた時に電撃が走りまして体中に。まあなんと、響きからリズムから…、ま、今御本人を前にして言うのもちょっと照れくさいぐらいですけれども、もう大変な事…すごいピアニストが出てきたな…と思い、固く強く、そして弾力があってですね…、なんていうかひと言で言うと、もう痺れてしまいまして。慌ててこう…椅子をクルッとひっくり返して画面を観たところ、なんと若い女性が弾いてるっていうんで、衝撃を受けまして。
そいでまあ、その番組は終わりまして、翌日友達んとこに行って、「あのさ、昨日の『ジャズ・エイド』観た?」っつって。「向井さんのバンドでピアノ弾いてたあの女の子、誰?誰?」っていうのが何日か続いた後に、大西順子さんがデビューされる、というような段取りで私、大西順子さんの名前を知るわけですが。
その、今はワタシが大西順子さんを初めて知った瞬間の話からポーンと飛んで、もう大西さん、引退されるわけですけども(笑)。
大西 (笑)。
菊地 (笑)。今夜のゲストはジャズ・ピアニストの、今年いっぱい…いっぱいというか実質何日まででしたっけ?
大西 えっと11月8日が最後ですね。
菊地 なるほど。はい、では今年のノヴェンバーで、…まあ少なくとも演奏家としての活動を引退されることを表明された…
大西 はい。そうです。
菊地 ジャズ・ピアニストの大西順子さんです。よろしくお願いします。
大西 よろしくお願いします。
菊地 どもども。え〜…そうですね、大西さんともうすでに、ブルーノートタブロイドで…
大西 ええ。お世話になりました。
菊地 いや、とんでもない。一度…光栄です。対談させていただきましたし。
大西 ええ。その前に一回飲みましたね(笑)。
菊地 そうですね。
大西 かなり深い時間まで(笑)。
菊地 かなり深い時間まで、はい。…ですけども、まあまあ、ブルーノートタブロイドはジャズ・プロパー向きというか。
大西 (笑)。
菊地 この番組はジャズの「ジャ」の字も知らないという、おじいさんおばあさんなども聞いてる…
大西 あ、そうですか。
菊地 はい(笑)。…番組ですので、あの…若い衆も、ジャズ知らないっていうのもいっぱい聞いてますんで。
大西 ええ。
菊地 え〜、話がブルーノートタブロイドと二重売りになってしまう場合もあると思うんですけども。
大西 ええ。
菊地 よろしくお願いします。
大西 あ、よろしくお願いします。
菊地 はい。まず第一にはジャズ・ピアノ…日本のジャズ界でっていうか、世界のジャズ界、ジャズ史全体の中といってもいいんですけど。
大西 ええ。
菊地 自分から引退を表明されて、実際引退するってことは、前例がないと思うんですよね。
大西 そうですね。だいたい普通、フェイドアウトしていくって感じですよね。
菊地 フェイドアウトしますよね。だいたいあの…野垂れ死ぬっていう…。野垂れ死ぬか、狂って演奏できなくなってしまうっていう…。
大西 ま、それかもう…仕事はとにかく無くても、なんかこうずっとすがってるみたいな。
菊地 はいはい。ですよね。だからこう…バシッと引退される、と。
大西 ええ。
菊地 まあ、何せ、Yahoo!ニュースのトップになりましたからね(笑)。
大西 そうですねえ。
菊地 あんなん見たことないですけどね(笑)。
大西 ええ(笑)。まあ…ていうか、「この人誰?」っていうのがほとんどの人の…
菊地 いやいやいや、そんなことないと思いますよ。
大西 …感想だったと思うんですけど。
菊地 そんなことありませんよ。例えばですね、今日なんか収録にもかかわらず、大西さんへのメールが殺到しておりまして。
大西 あ、ありがとうございます。
菊地 あの…全部はとても読めませんがひとつふたつ…。
(メールを紹介。最後の演奏場所について。)
菊地 まあ、とはいえ、とにかく大西さんの最後の演奏は厚木なんだ、と。
大西 そうですね、はい(笑)。
菊地 生まれた場所は京都なんだ、っていうね。
大西 そうですね(笑)。はい。
菊地 え〜、そうですね。何て言ったらいいんだろな…実際95年デビューと申し上げて…
大西 そうだったんですね。
菊地 日本だと95年とか…
大西 ああそうか。実際自分の中では、何をもって「プロ」なのかというのはこれまた…
菊地 (笑)。
大西 お金もらった瞬間からプロになるのか、だとしたらもうバークリーにいた時から、ホテル・ギグみたいなものをね。
菊地 はいはい。
大西 先生が「今日ちょっとできないから代わりにやってよ。」なんて生徒にふったりする…
菊地 はいはい。最初はみんなそんな感じですよね。
大西 そうそう、そっから始まってるので。それはもう87ぐらいから…。
菊地 バークリー行ったのが…?
大西 行ったのが86年で、もう次の年ぐらいにはそういう仕事とか回ってきたりしてたんで。
菊地 はい。
大西 で、88年にスライド・ハンプトンと学生選抜みたいなので、フランスの方をツアー…2週間ぐらいかけてツアーして。
菊地 はい。
大西 ま、それはお金ほとんど出てないみたいなものですけどね。
菊地 まあ、ジャズ界そこ微妙ですよね(笑)。
大西 ま、なんつったって、学生を連れて行くぐらいですからね。
菊地 まあ、そうですね。
大西 でもそれもまあ、プロっぽい仕事といえばプロっぽい仕事ですよね。だからそのあたりから、プロっぽい感じですかね。
菊地 はい。…ま、これはあの…言うまでもない話ではあるのですが、さっき申し上げた通り、ジャズなんか全然知らないって方も聞いてますので、あれですけども。
大西 はい。
菊地 大西さんはその後帰国されて、帰国第一作の「WOW/ワウ」が、…ま、資料なんかそのまま読んだ方がちょっと面白いところありますんで、そのままウィキペディア読みますけども。
大西 (笑)。
菊地 …デビュー作「WOW/ワウ」は…ちょっと待ってくださいね。
大西 もうウィキ、私が書き換えちゃおうかな。
菊地 ウィキね!…書き換えちゃおうかな、手前で…と思いますよね。
大西 思います。
菊地 あ、93年だ。93年に「WOW/ワウ」発売。大反響を巻き起こし、ジャズレコードとしては…これは厳密に言うと「アコースティック・ジャズ」としては異例の5万枚のセールスを記録。え〜、93年ってのはCDが最も売れていたシーズンでもあるんですけど。
大西 ああ〜。
菊地 日本中で一番CDが売れた年が94年なんです。
大西 へえ〜。
菊地 27位までミリオンがあったという…。
大西 へえ〜、すごいですね。
菊地 今じゃ考えられない(笑)。それから段々減って、いまやとんでもない話ですけども。
大西 (笑)。
菊地 …「スイングジャーナル」ジャズ・ディスク大賞日本ジャズ賞を受賞。その後もう、大西さんの快進撃が続くわけですけども。5万枚ってのはですね、いまだにこれ破られてないんじゃないですかね。アコースティック・ジャズピアノ…
大西 ああ、まあそう。かなりそういうふうに限定すれば…
菊地 ですよね。まあ、やれ「カインド・オブ・ブルー」だとか、エレクトリックものだとか言っちゃったらあれですけど、邦人のアコースティック・ジャズはしばらく…っていうか、CDで換算する限り、これもう永遠に抜けないとワタシは思うんですよね。
大西 どうだろう。でも…なんとも言えないですけど。
菊地 はい。
大西 あれ…ちょっとあれはなんか、ほんとにその数字なの?…ってのは私、思ってるんですけどね(笑)。
菊地 (笑)。
大西 それもね、いくらでも言えるじゃないですか。
菊地 まあまあまあ、ね(笑)。…あの〜、もしかしたら今日初めて大西さんのお話聞く方も多いと思うんですけど、大西さん、結構、おっしゃる方なんで(笑)…。まあ、収録なんで、あれですけど。
大西 あれ、なんていったって、あの頃ほら…地方のCD屋さんとかがガンガン買ってって…
菊地 (笑)。はい。
大西 それがどっかのCD屋にまだ残ってるとか、売れないで。それも含めての5万枚だとすると…
菊地 まあまあ、とはいえですよ。
大西 実際、買い手の手元に届いたのは、まあいいとこ1万5000ぐらいじゃないかと、私は思ってるんですけどね。
菊地 まあ、3万5千水増しだったとしてもですよ。…だとしても、やっぱりこの表沙汰の記録としては抜けないと思いますよね。
大西 だからそういうキャッチコピーが、捏造しやすかった時代…なのね。
菊地 (笑)。捏造って!…大西さん。
大西 いろんな意味で、捏造がほら…みんな「本当?これ、いいの?」って思ってても、ネットとかまだないから、自分の声をなかなか訴えられないじゃないですか。
菊地 そうですね。
大西 その中で「これ、凄い凄い凄い。」って、とりあえずなんかこう…煽動して。
菊地 (笑)。
大西 ま、とりあえず無理やり5万枚まで持ってった、みたいな。
菊地 ヤバイですね(笑)。
大西 そういう意味では、そういう無理やりな力は、これからはちょっとなかなか使えないかもしれないですね(笑)。
菊地 でも、93年ってもうPOSカウントあったと思いますけどね。
大西 どうだろう?…ギリギリでも…うーん。
菊地 まま、最初の話題からいきなりこれだっていうんで、こういう方なんだ、ということを知っていただいたと思いますんで。
大西 ええ。私は…さっきも言いましたけど、前に…ねえ、せっかく帯でいただいたラジオ番組…TBSでいただいたのに、ぶっ潰しましたからねえ…ほんとに。
菊地 (笑)。まままま…今「WOW」…デビュー盤の話をしたばかりですが、今からこれが実質のラスト盤ってことになるんですね。「BAROQUE/バロック
大西 あ、はい、そうですね。
菊地 この「BAROQUE/バロック」、ワタシはもう名盤だと思いますけど。
大西 ありがとうございます。なかなかそれ言ってくれる人いないんですよね。
菊地 そうですか?…あ、そうですか。
大西 自分の中では、これが到達点…やっぱ絶対到達点だなと思ったんですけれど、これよりやっぱりみんないまだに「WOW」とかね…。
菊地 ああ、そういうことね。大西さんの作品の中でね。
大西 ええ。
菊地 それはそういう…マニアックなところも楽しみなところですけどね。いずれにせよ、これが「引退作」というのが、信じられないような、納得できるような、名盤だと思いますが。この「BAROQUE」からトラック2の「ザ・マザーズ」を聞いていただきましょう。

バロック

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