「死神同士の新春ジャズ放談。」
年明け最初の「粋な夜電波」。
第87回放送は、ジャズ評論家の相倉久人先生をゲストお迎えした、新春ジャズ放談。
重鎮でありながら気さくなお人柄の相倉先生に、無邪気に質問を投げかける菊地先生がいつになく楽しそうでした。当事者から語られる日本ジャズ史の深イイ話が満載の回で、生放送で収めるのが難しいほどの盛り上がりでした。
その対談の一部を文字起こししてみました。
- 作者: 相倉久人
- 出版社/メーカー: アルテスパブリッシング
- 発売日: 2013/01/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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菊地 え〜、今週はですね…今年の一発目ということで、ジャズ評論家の相倉久人先生をお迎えして、「新春ジャズ放談」をお送りしたいと思います。相倉先生、よろしくお願いします。
相倉 どうも、よろしくお願いします。
菊地 ええと…光栄でございます。
相倉 (笑)。光栄ってことはないでしょ。
菊地 いえいえ、とんでもないです。あの…それこそ、ワタシは今、不器用ながらAMラジオなんか、こう…やらして頂いてますけど、先生、ラジオパーソナリティーなんて、何本?過去…。
相倉 いや、そんなにやってないですよ。
菊地 そうですか?
相倉 ええ。某NHKがあって(笑)。2年間ぐらいレギュラーをやりましたけどね。
菊地 はい。なんだかんだで、相倉先生がラジオからいろんなアルバムを紹介してんのを、聞いた記憶がね、あるんですけど…。
相倉 あ、そうですか。
菊地 ごっちゃになってるんですかね?…いろんなものが…。
相倉 そうかもしれませんね。
菊地 (笑)。まあ…これは何て言うか…シャレというか、あれですけど、そもそもワタシが、いわゆるブレイクスルーというか、一般的にもちったあ名が知れることになったというきっかけは、山下洋輔さんのバンドに入ったことで。
相倉 はい。
菊地 で、まあ…「自称・弟子」ですね。つまりまあその…ああいうのはほんとの徒弟制ってのはないんで、手取り足取り教えてもらったわけじゃなんで…、現場で盗みながら、一緒に「びーた〜」なんかしながら、盗んでいくわけですけど。そいでまあ「自称・弟子」で、山下さんもああいう方ですから、鷹揚な感じで面白がってくださって。で、そもそもアタシが山下洋輔さんの「自称・弟子」だって言ってること自体が、もうコピーで。
相倉 ええ。
菊地 それは山下洋輔さんが「自称・相倉先生の弟子」だって言ってるとこから始まってるんですよね。
相倉 (笑)。弟子だとは言ってないでしょ?…師匠だっていってるんでしょ?僕のことをね。
菊地 そうですね。だから…なんていうか、勝手に言ってる二段構えですよね。これは、実際の習い事…まあ、それこそ職人さんでも噺家さんでも何でもそうですけども、板前でもね…ほんとに手取り足取り習った「弟子・師匠」っていうんでしたら、アタシは相倉先生の孫弟子、相倉先生がアタシの大師匠ってことになるわけなんですけど。まあ、勝手に言ってる二段積みですから、勝手、勝手で、あっちゃこっちゃですけど。とはいえ…どうですか。最初に、先生ラジオに来ていただいたら、何訊こうかなと、山ほど出てきちゃって。
相倉 (笑)。そんなに訊くことあります?
菊地 ありますよ〜。今ね、日本もおかしなことになって、前の首相が今の首相、前の首相が今の副首相ってね。よくわかんないことになってる上に、都知事が辞めた時に、…前の都知事がね、今の都知事が…背がちっちゃい、ちびの方が(笑)、「前の都知事…石原慎太郎こそが、元老と呼ぶにふさわしい人間だ」っていうふうにね。数少ない。
相倉 ええ。
菊地 ま、元老院なんて言葉は、明治政府から日本にもありますけども、あんなもん新しい言葉で、元々ローマ帝国の考え方で、おそらくローマ帝国は、飲み食いしたり、いっぱい薬飲んだり、健康にいいこといっぱいやって、年寄りがいっぱいいたと思うんですよ。
相倉 (笑)。
菊地 で、いっぱいもういるから元老院だ、なんつってまとめちまえ…ってことになったと思うんですけど。日本はやっぱり「長屋のご隠居」っていう…、あとはまあ、族長とかね、ああいった感じで、各業界に一人か二人…。
相倉 ええ。
菊地 相倉先生、ジャズ評論家ってのを始めた時に、長ずるに…今、現在実際ね、一番の年長が瀬川先生ですよね。
相倉 そうですよね。
菊地 ほんとはね、今日ね、瀬川先生にも出ていただいて(笑)、年寄り二人呼んで話聞こうかって、ほんとの時事放談みたいに。
相倉 「ジジ」放談ね。
菊地 いやいや、まあまあ(笑)。いただきましたけども。…まあ、二番目ですよね。
相倉 そうですよね、うん。
菊地 で、まあ、お二人ともお元気で。
相倉 (笑)。
菊地 ワタシもだいぶいろんな世代…親父や兄貴の世代っていう批評家、先生方からは煙たがられる方なんですけど。
相倉 ええ。
菊地 おじいちゃんっていう世代の(笑)…評論家の先生方には、随分かわいがっていただいて。
相倉 ええ。
菊地 平岡先生とかですね。あと、亡くなっちゃいましたけど、清水先生ですとか。…に、随分かわいがっていただいて。…かわいがっていただいてると、その先生が亡くなっちゃうんで、「死神」って呼ばれてるんですけど(笑)。
相倉 (笑)。
菊地 相倉先生だけは、ずっとかわいがっていただいてるまま、ずーっとお元気なんで。
相倉 僕自身がそうだからですよ。
菊地 あ、ほんとですか。
相倉 だいたい僕がね、なんかシステムに入ると、その秩序壊れちゃうんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 それから、付き合ってると相手が死んじゃうんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 もうこれの繰り返しでね。
菊地 おっかねえな、死神同士じゃないですか。
相倉 そうなんですよ。死神同士でもって、賑やかにやりましょう。
菊地 なるほど、そうですか〜。…自分がその…なんていうんでしょう、「ジャズ村」っていうかね?…狭い世界ですけど、…の長老というか。…ま、実際の言葉に忠実な意味では、「ご隠居」って言っていいのは、相倉先生だけだと思うんですよ。というのは、一回ジャズ批評からは隠居されてるじゃないですか。
相倉 ええ。
菊地 ポップス、ロック行って。レコ大の審査委員長までね。
相倉 (笑)。
菊地 それでまた最近、ジャズ批評に戻って来られたという感じですから。
相倉 ええ。
菊地 「ご隠居」っていうのに一番ぴったりくるのが、相倉先生だと思うんですが。
相倉 はい。
菊地 そういう立場になられると、想像されてました?
相倉 いやあ…あの、とにかくね。
菊地 はい。
相倉 僕の売りは、「自分で道を選んだことが一度もない」ってことなんですよ。
菊地 (笑)。ほんとですか。
相倉 あのね、ハードボイルドで時々あるでしょ。探偵で、自分は探偵やるべきじゃないんだけども、なぜか引きずり込まれて、いつのまにか事件を解決してる…
菊地 はいはいはい。
相倉 そのパターンなんですよ。
菊地 へえ〜。
相倉 だいたいね、ジャズ評論家になるつもりは全く無かったんですよ。
菊地 何をやるつもりだったんですか?
相倉 あの…理論物理やりたかったんですよ。
菊地 (笑)。東大の美学でしょ?
相倉 そうですね。
菊地 ま、やめちゃいますけどね。
相倉 ええ。
菊地 理論物理やりたかったんですか。
相倉 ええ。やりたかったんですが、で、まあ…趣味でジャズを聞き始めて、で、取り憑かれて…。
菊地 はいはい。
相倉 それで生まれて初めて書いた原稿というのが、頼まれた原稿なんですよ。
菊地 はいはい。
相倉 それはね、あるカントリーの歌手が、アメリカの人ですけども、死んじゃった時に、雑誌の編集長が自分で追悼文書こうとして、途中でめんどくさくなって、「相倉君、続き書いてくれよ。」って言われて…。
菊地 その時相倉先生は、どういうお立場だったんですか?
相倉 いや、ただのファンで…
菊地 (笑)。
相倉 編集部に押し掛けてって遊んでたの。
菊地 ああ、そうですか。
相倉 それで書かされて。それを見て編集長が、漣(さざなみ)健児って人ですけどね。
菊地 その方も亡くなられ…
相倉 亡くなりました。
菊地 そうですか(笑)。
相倉 で、彼が「こいつ多少書けるな。」と思ったらしいんですね。
菊地 なるほど。
相倉 それでその季刊誌の方に、時々原稿書いてたんです。
菊地 なるほどね。
相倉 で、本誌に…「ミュージック・ライフ」って雑誌に初めて原稿を書いた時に…
菊地 はい。
相倉 なんと、22歳の男がですね、いきなり5頁ぐらいもらって、「クール・ジャズは何か」って凄い文章書いたんですよ。
菊地 はいはいはい。
相倉 そしたら漣さんが、「この文章、なかなか良く出来てるから、最後に名前入れてあげるよ。」って言われて。
菊地 はあ〜。
相倉 で、(相倉久人)ってのが入ったんです。
菊地 もう最初から署名原稿だったってことですね。
相倉 それはその本誌の方ではね。
菊地 なるほど。
相倉 するとね、それまでは匿名で書いてたわけでしょ。
菊地 ああ、はいはい。
相倉 で、署名原稿が入ったら、効果大きいですよね。その2、3ヶ月後に、あるコンサートで「ちょっとちょっと、相倉君てのは君かね?」…知らない人から声掛けられて。
菊地 はいはい。
相倉 で、後でわかったのは、その人が「スイング・ジャーナル」の社長だったんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 で、「うちにも書かないかね。」って言われて。で、書いた。あっちこっちそうやって書いているうちに、今度は(相倉久人)だったのが、名前が前の方にきまして。
菊地 はいはい。
相倉 タイトルの横に「相倉久人」。(ジャズ評論家)って書かれちゃったの。
菊地 はいはいはい。
相倉 あれ?「ジャズ評論家」になっちゃったんだ…。
菊地 はい。…まあ、黄金期の「スイング・ジャーナル」の推進力たる時代ですよね。
相倉 そうですよね。
菊地 相倉先生がジャズ評論家として健筆をふるわれ始め…っていう時はね。
相倉 で、あちこち書いて…。
菊地 のちにその「スイング・ジャーナル」も死んじゃいましたけどね(笑)。
相倉 そうですね、そういえばね(笑)。
菊地 その前に、相倉先生、今じゃとても穏やかなんで、そんな事する方には誰も見えないですけど、ワタシ読んでましたから知ってますけど、もう大ゲンカでしたね。
相倉 (笑)。
菊地 ケンカもいいとこじゃないですか、あれ。…あれはケンカして、もう出ちゃったわけでしょ?
相倉 そうですね。というかね、後先を考えないんですよ。
菊地 ああ…。
相倉 そそっかしいんですね、何でもね。
菊地 (笑)。
相倉 とにかく何か言われた瞬間に、腰を半分浮かして、もう反り返ってるという…。
菊地 はいはい。
相倉 で、出来るか出来ないかってのも考えないんですよ。
菊地 はいはい。後先考えないんですね。
相倉 はい。で、最初にそれがあったのが、セロニアス・モンクの来日コンサートの司会だったんですよ。
菊地 ですよね。司会業ですよね。
相倉 それだって、あれですよ。ただ僕、観に行ってたんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 そしたら呼び屋の御大が来て、「ちょっと、司会者がいなくて幕が開かないんだけど、やってくれませんか。」って。言われた瞬間に「ああ、そうですか。」って…
菊地 当時はね、「ジャズコン・ブーム」ってのがあって。ジャズ・コンサートの部分があったんだけど、必ずMCがね、司会者がいて、当時は芸能なんでもそうですけど、司会者がいて朗々とひと節やって、「それではセロニアス・モンク・トリオの登場です!」っていう…。
相倉 そうそう。
菊地 それやる人がいなくなっちゃったんですか。
相倉 いや、というかね、頼んでなかったらしいんですよ。
菊地 あ、頼んでなかった?
相倉 はい。それで「じゃあ、いいですよ。」って言って、パッと上がったはいいんだけど…
菊地 「あ、いいですよ」って上がっちゃったんですか(笑)。
相倉 こっちはだって…お客で来てるわけでしょ。だからね、メンバーのすべての名前を知らないんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 しかも頭が呼び込みなんですよ、一人ずつ。
菊地 はいはいはい。
相倉 で、「テナー・サックス、チャーリー・ラウズ!」って、これはいいんですよ。
菊地 はいはい。有名ですからね。
相倉 有名だから。…で、「ベース…」って言ったまま、名前知らないんですよ。
菊地 (笑)。
相倉 で、一瞬困って「ウッ…」ってなったらね、親切な客っているもんですね。目の前の客がね、言ってくれたの、名前を。
菊地 はいはいはい。
相倉 で、それをそのまま復唱して…
菊地 助かったと。
相倉 ええ。それぐらいとにかく、頼まれればやってしまうという…。
菊地 はい。
相倉 そのパターンですからね。だからジャズやめてロック行ったのも、ロックから歌謡曲行って、また戻ってきたのも、全部これはなりゆきなんです。
菊地 ああ〜。…これねえ…こんな番組の正月から…先生に向かってこんなこと言うのは、僭越至極なんですけど、ワタシも完全にそれで。
相倉 ええ。
菊地 一回も自分からね、原稿持ってったり、「これやらしてください。」って、自分でプレゼンテーションしたこと、一回もないんですよ。
相倉 そうでしょ。
菊地 「おまえ、なんか出来そうだからやってみろ。」って(笑)。まあ…結構、おぼつかない…ね、ベースの名前知らないわけだから、もうそれぐらいの状態ですよ。それで始まると、なんかやれちゃうんですよね。
相倉 いや、それが楽しいんですよ。
菊地 (笑)。
- 作者: 相倉久人
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