「悪の法則」


レイトショーで「悪の法則」を観た。
マイケル・ファスベンダーキャメロン・ディアスハビエル・バルデムペネロペ・クルスブラッド・ピットら豪華キャストの主演に興味を惹かれていた作品。
巨匠リドリー・スコットが監督という点は、自分の中ではあまり注目ポイントではなかったが、予告編を観た限り十分面白そうだったので、公開を楽しみにしていた。
好き嫌いが分かれるという評判も耳にしていたが、多分自分は好きなタイプの作品なのではないかと。
原題は「The Counselor」で、その名の通り、カウンセラーと呼ばれる弁護士の男(マイケル・ファスベンダー)が、裏社会と関わったことで破滅に陥って行くというストーリー。話自体は単純なのだが、実はこの作品、誰がどうしてどうなったということの理由にばかり気がいくと、観終わっても全く全貌が掴めないという作りになっている。
しかも最初の1時間ぐらいは、事件は何も起こらない。というか、起こっていないように見える。
会話劇が中心だし、ずっと危険性を匂わせ続け、じれったくなるほどに何も動きがない。さすがに観ていて退屈し始めたあたりで、ようやく事件らしい事件が起こり、それがカウンセラーと彼の協力者たちにとって、致命的なミスだったということが分かってからは、一気にスリリングな展開になっていく。
最終的に何も救いがないような結末なのだが、後から思えば、この映画が始まった最初から常に不穏な空気は漂っており、実はすでに事は起きていたのだということが分かる。
カウンセラーの男はどこで誤ったのか。どの時点なら引き返すことが可能だったのか。それを突き付けられて思うことは、一般市民の自分にとっても全く無関係なことではないということだ。
この映画のような危険な裏社会に直に関わり合わなくても、世の中には理不尽な暴力や、個人の命の重さが全く意味を持たない機械的なシステムは、常に我々のすぐ周りに存在している。
そのことに気付かせる作品ということで、まず思い浮かぶのは「ノーカントリー」だ。あの作品で殺人鬼シガーを演じていたハビエル・バルデムが、今回は自分にも理解出来ない闇のシステムに怯えるのは何かの皮肉なのだろうか?
そういえば…と思って確認したら、この「悪の法則」の脚本家コーマック・マッカーシーは、「ノーカントリー(No Country for Old Men )」の原作者でもあるのだった。
後から知ったが、それでようやく納得。
この脚本だったら、もっと面白くできたのではないか?という気もするが、観終わった後の余韻込みで、結構好きな作品かも。

悪の法則

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