「ラブ&ピース」



1日の映画サービスデーに仕事が休みだったので、園子温監督作「ラブ&ピース」を観に、TOHOシネマズ渋谷へ。
先日「新宿スワン」を観たばかりなのに、もう次の園子温作。
ただ「新宿スワン」はあまり園子温らしさが感じられない作品だったので、今度の「ラブ&ピース」こそが園子温作品の決定版になるのではと期待していた。
実際に、園監督がまだ無名時代に構想し、25年温めてきたオリジナル脚本というふれこみだったし、冒頭におなじみの「A SONOSION'S FILM」のロゴも出たので、これは園子温度が高そうだと。
地獄でなぜ悪い」での演技で、事実上「長谷川博己にすべて持ってかれた!」という強い印象があったので、今回も怪演だと評判なので期待していた。共演が麻生久美子というので、これは芝居で泣かされるかも…と思っていたのだが。
気が弱くて冴えないダメサラリーマンの鈴木良一(長谷川博己)は、ミュージシャンで成功する夢を持っていたが、今はみんなにバカにされても何も言い返せない屈辱の日々。飼っているペットのミドリガメに毎晩話しかけて、自分の正直な気持ちを聞いてもらうのが、唯一の救いだった。
というところから始まるストーリー。これが怪獣モノにエスカレートして行くのだから、いったいどんな話なんだ?
ただ、この作品のリアリティラインを掴むまでに、だいぶ戸惑った。
とにかく長谷川博己の演技が過剰だし、西田敏行演じる謎の老人が出てくる地下水路での場面は、捨てられた玩具やペットが言葉を話すファンタジー世界だし、偶然巻き込まれてデビューすることになったバンドが成功していく様はコントのようにデフォルメされていた。
観ていて、いったい何なんだ、この茶番は?と思い、居心地が悪いこと極まりない。
いくら園子温ならではの過剰な演出とはいえ、観ていてこっ恥ずかしいったらありゃしない。妄想と現実の区別が付かなくなった、そういう「イタイ男」の物語なんだとわかってはいるけれど、あまりにも戯画化され過ぎていて、なかなか乗れない。
あと、やっぱり映画の中での「いい曲」問題というのは、この作品でも致命的で、映画の中で音楽を扱う時に、いい曲にみんなが感動して、その歌い手が成功していくというストーリーの時に、ほんとにその曲がいい曲じゃないと台無しになってしまうという問題があって、それがこのお話に乗っていけない最大の理由でもあった。
いくら幼稚で拙い妄想の実現化だとはいっても、園子温監督自身の作曲したあまりにダサい「ラブ&ピース」という歌が何度も歌われ、それで鈴木良一がスターになって、スタジアムライブまで行なうというのは、荒唐無稽にも過ぎる。
もう身悶えするぐらい恥ずかしくて、観ていてツライ作品だったが、結果的にラストでは号泣してしまった。
なぜ????
もうこの身悶えするぐらい恥ずかしい時間に耐えているという状況自体が、結局は園子温監督の術中にハマっていたわけで。
ひとりの孤独な男が、汚いアパートの一室で毎晩妄想していた、その薄っぺらい夢、独りよがりの欲望が、どんどん増幅されていくと、どんなにみっともないことになるかというのを目の当たりにして、こんな茶番…しかし、実際に現実世界でこれと同じようなことが起こっていて、それと自分は無関係には生きていないということを思い知らされる。
程度の差こそあれ、人はみんな鈴木良一と同じような思いを抱えていて、ただそれを表に晒すのが恥ずかしいという理由で、現実に妥協して、自分を押し殺して生きているのだ。
それを長年かけて爆発して、ようやくブレイクした遅咲きの映画作家園子温監督は、あの頃の初期衝動や誇大妄想を失ってはいないと宣言し、今こうしてオレはあの頃の思いをそのまま作品にできて、世に出せるようになっていると、観客に挑戦状を叩き付けている。
巨大化した欲望が幼稚で恥辱に塗れていればいるほど、それが全部ラストで一気に押し寄せてくる。自分のこととして。
我に返って、一人もといた場所に歩いて帰る鈴木良一の姿を観ながら、今は亡き忌野清志郎の名曲「スローバラード」のイントロが流れ始めた瞬間、なぜなのか自分でもわからず、涙がこぼれた。
まったく…観終わって、映画館を出る時には、やっぱりみっともなくてこっ恥ずかしい映画だったと思い出して、それにしてやられたのが悔しくもあった。
でもさあ…主題歌が「スローバラード」って、やっぱズルくねえ〜?