「オーネットとマイルスが行き着いたところ。」

「粋な夜電波」第214回放送は、久しぶりの「ジャズ・アティテュード」。
先日他界したジャズ・ジャイアンツの一人、オーネット・コールマンを偲んだ内容。ただ普通の追悼企画にならないのが「夜電波」クオリティ。
確執が取り沙汰されたマイルス・デイヴィスとの関係と、その音楽性の違いについて、他ではあまりされない指摘がなされ、それについての詳しい解説があり、特に内容の濃い回となりました。
フリー・ジャズのスターであるオーネットと、オーネットをデタラメだと認めなかったマイルスの音楽の共通点について解説された部分を文字起こししてみました。

はい、というわけで番組に戻りましょう。戻りましょう…って言うか、ずっと番組ですけどね(笑)。
ま、後半はですね、そんなに音源も…。ま、オーネットを偲んでいろんな音源聴こうっていうほうが、普通のジャズ番組なんでしょうけど。ま…それはいろんなところでできるでしょうから。
え〜…59年がやってきます。たいへんな年です。もう1年待ったら60年です。
それまでなんとなく、それでもたくさんの問題を抱えたアメリカ…という国が、さらに混乱していく…60年代の直前に、マイルス・デイヴィスオーネット・コールマンは何をしたか
マイルス・デイヴィスのほうは…言うまでもありません。いまだに年間…世界中で…要するに売れ続けているわけですね。「カインド・オブ・ブルー」…名作ですね、これね。名盤です。
これを発表することで、それまでのビー・バップ、そしてビー・バップの汎用型…ポップ型であるハード・バップ…といったものから脱却して、もう一気にアート性を高めてですね、しかもアート性を高めると同時にたいへんな…構造的な革新を行いつつも、なおかつポップだということで。
まあ…22世紀のジャズ史は、モダン・ジャズってのはチャーリー・パーカーじゃなくて「カインド・オブ・ブルー」のマイルスのことだ…ってことになるのではないかと言われるぐらい売れているアルバムですね。特に他ジャンルの音楽家への影響が強いアルバムです。これをマイルスは発表します。
一方、マイルスはこの59年の段階で大スター…ニューヨークに若僧でやって来て、チャーリー・パーカーに金せびられたり服せびられたり(笑)、いろんな目に…ラジオでは言えないようなとんでもない目に遭いながらも、ジャズ界で修業して、「プリンス・オブ・ダークネス=暗闇の王子」、もしくは帝王などと呼ばれて、もう大スターなわけですが。
ここにですね、突然横っ腹をえぐり取るように、オーネット・コールマンっていう、まあ…何て言うんですかね…こっちももう大変なモダン・アーティストですけど、ま…ちょっといっちゃった方がやってくるわけですね。
相当腹立たしかったっていうか、気になったと思うんですけども、オーネット・コールマン…同じ年に、これももう名盤です…やっぱね、名盤ってのはタイトルがいいんですよ。「カインド・オブ・ブルー」ってのは、やっぱすごいタイトルだと思いますね、今聞いてもね。しかもね、曲名じゃないの。そこがすごいですね。
一方、御紹介するのは「ザ・シェイプ・オブ・ジャズ・トゥ・カム」…カタカナで言うとね。これは「ジャズ来るべきもの」と訳されておりまして。
まあ…オーネット・コールマンってのは、自分で考えてんのか…ブレインがいたのかなんだか微妙…ここら辺はワタシまだ調べついてないんですけど、多分自分で考えてたと思うんですけどね。ま、ワタシのこの推測…オーネット・コールマンは自分のアルバムのタイトルを自分で考えていたのだ…とすればですよ、すれば…ですけれども、オーネットの才能ってのはボブ・ディランに限りなく近いですね。
自己プロデュース能力…こういう格好でこういう髪型でこういうサングラスでこういうユダヤ訛りで歌えば売れる…といったような、たいへん高い自己プロデュース能力と、それを実現させていく実力と才能に、両方持ち得た人ですよね。オーネットもそういうとこあります。
「来るべきもの」は1曲目が「ロンリー・ウーマン」。「さみしい女」っていう、フリー・ジャズなのに、ちょっとエロティックで女性性が入っているっていう、相当なアルバムですけど。
ま、今から十数分間で何をお届けするかというとですね。
まず「カインド・オブ・ブルー」をちょっとだけ…あ、先にこっち聞こうかな、オーネット・コールマン聞きましょうか。
この時のオーネット・コールマンは、もうピアノがいません。ピアニストがいると、なんかコード進行みたいなのが聞こえちゃって、自分が目指してる無調っていうかね、「アトーナル」っていうんですけど、こう…キー…調性が無い…フリー・ジャズですね、つまり。まあ…ものすごい俗に言ってしまえば、重力の無いムチャクチャな状態に聞こえる…というために、どんどんそれを純化してミニマルにするために、ピアノを抜いちゃいます。ピアノはね、やっぱね…和声進行の固まり、バケモノですからね。
えーとですね、何にしようかな…「クロノロジー」聞いてみましょう。
(曲)

はいはい、懐かしいですね。残酷残酷〜ということで、全部聞いてると話する時間が無くなっちゃうんで(笑)、解説の時間のために下ろしますが。
で、ワタシが常日頃、開陳してるんですけも、御堅いジャズ批評の皆さん、ジャズファンの皆さんには、全く相手にされない(笑)…ことの一つなんですが…。
これがですね、59年のオーネット・コールマンです。これは簡単に言うと、まだ58年の「Something Else!!!!」の段階では、普通のジャズ…普通っていうかね、フリー・ジャズ以前の…ビー・バップにまだ色気があるんですよね。で、これはもう完全に吹っ切ってます。このアルバムから。
さっきのメンツから、ベイスを入れ替えて…ま、こっから名手チャーリー・ヘイデンの登場。で、ピアノレスにして、ビリー・ヘギンズ、ドン・チェリーチャーリー・ヘイデンオーネット・コールマンになってますね。
で、フロントはトランペットとアルト・サックスということで、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーを模している…という側面もあったりなんかして。
で、完全にね、パンク・ジャズ…パンキッシュね、教養主義ですよね。
ま…ビー・バップをやろうとすんだけどやれない、と。だから、もう…メチャクチャにやるんだ、と。
ビーバップの芯を食わずに、一回ぶっ壊して、だけど形式だけビー・バップでやっていく…という、ものすごいパンキッシュなものですよね。
のちに「パンク・ジャズ」と呼ばれるもの…80年代に有名な「ラウンジ・リザーズ」なんかがくるんですけど、あれはだいぶ確信犯だし、もうパンクって言葉が出ちゃった後のもんなんで。
ワタシほんとの「パンク・ジャズ」はオーネットのこの「来るべきもの」だと…だと思うんですよ。
つまりこれは完全な…「カッコ良くクールにいこうぜ!」っていう美学以外は、音楽的には無教養主義なんですね、あえてね。
で、マイルスは同じ年に…もう教養主義の塊…ま、マイルスは結構教養主義で、勉強しない奴、練習しない奴に対しては口汚い…ある意味真面目、優等生ですから。ま、パンキッシュになったことなんか、一生無かったですよね、マイルスはね。
最後の最後、「Doo-Bop」でヒップホップにチャレンジっていう時だって、チャラくパンキッシュにやろうと思ってたわけじゃないですから。ガチでやろうとしてましたからね。
「カインド・オブ・ブルー」はわざわざ聴くまでもないと思いますけど、いちおう「あれか〜!」っていうことで1曲。
マイルスはさっきの「枯葉」でね、もうまるっきり映画音楽みたいなポップな状態から、こうなります。
(曲)

はいはい、こちらはもう有名なんでね、載せて喋っちゃいますけど。
世に言う「モード奏法」っていうやつで、まあ…マイルスが考えたというより、これ「カインド・オブ・ブルー」ってセッションですから、そこにいた…ほとんどビル・エヴァンスが考え…ま、考えるっていうか、ビル・エヴァンスの実践にみんな…ジョン・コルトレーンとかがくっ付いてきて…。
マイルスってのは、ヤバいメンツにヤバい新しい事やらせて、ま…自分の生徒ですよね、この時は生徒っていうほど歳離れてないですけど、ほいで彼らの模範解答を先生が読んで、「よし、わかった!」っつって乗っかってって、自分もヤバい事にサッと乗っかるっていう、凄い才能を持ってた…まさにこう…ディレクターにふさわしい、大スターにふさわしい人物ですが。
ま、いずれにせよ、そうですね…この2作、「カインド・オブ・ブルー」と「ジャズ来るべきもの」っていうのは、もうジャズ界の60年代以降の方向…先鋭的なジャズの方向を決定付けます
もう、「ジャズはお気楽な娯楽で、もうみんな知ってるアレを演ればいいよ。チャーリー・パーカーの再生産…拡小再生産をやればいいでしょう。楽しくジャジーな雰囲気を味わえればいいでしょう?」っていうのも、もちろんいっぱいありまして、それも全く悪いものではありませんが。
やっぱエッヂを進みたい奴がいるわけですよね。で、エッヂを進みたい奴にとって、オーネット・コールマンがやった、この方法…ま、フリー・ジャズの誕生ですよね。ま、翌年オーネット・コールマンは、その名もズバリ「フリー・ジャズ」ってアルバムを出して、「フリー・ジャズ」って言葉が定着するわけなんで。フリー・ジャズ」って言葉も作り出した人なのね。たいへんなコピーライターですけどね。
マイルスはこの時は「モード奏法」ってのを使って、ビー・バップがやっていたことを根本から換骨奪胎します。だから、ジャズが持ってた夜の大人の雰囲気ってのはありつつも、構造が全く違うと。
どちらも情緒纏綿たる歌モノの、泣き節といいますか、コードが進行して…ま、一般的な歌の意味ですよね、コードが変わりメロディが変わり、だから泣けるのだと。で、そのコード進行に沿ってアドリブをしていくのである…というようなことをやめちゃって、コード進行を完全に撤廃するわけですね。
で、オーネットに至っては、コード進行の撤廃と同時に、4小節ずつ回るっていう周期時間も撤廃しちゃうんで。
ただどんどん…後目もふれずに、ただただもう突っ走るだけなんです、先に。どんなにリラックスしてるように見えても、ただ突っ走ってゆくだけなの。
こんな乱暴なことないですよね。いつ終わるんだろうか?
フリー・ジャズにもいろんな形があるし、いろんなフリー・ジャズメンがいるんですけども、オーネットがやったスタイルってのは、ビー・バップのパンク化ですよね、明らかに。
そして、マイルスがやったことは、ビー・バップを根底から構造を改革したわけですよね。マイルスのほうが、もう全然アカデミックです。オーネットのほうが、もう全然イルでドープで…ま、今様に言うとね、パンクなわけなのね。
でね、この後マイルスは、オーネットのことをもうブチャグチャにビーフしてくんですね(笑)。まあ、されてもしょうがないところあるんですけど。
なにせパンクですからね。パンクに向かって「あんなのデタラメだ!」って言う…ヘヴィメタのものすごい上手い人が「セックス・ピストルズ」さんに向けて「あんなのデタラメだ!」って言ったってしょうがないじゃないか…ってこともあるんですけど(笑)。言ったってしょうがないけど、言うんですね。「あんなのデタラメだ!」っつって。「何にもわかんない奴がやってる。」って言うんですよ。
でまあ、オーネットはとにかく黙ってるんですよね。言う時は「あいつ白人だ。」って。「金持ちだ。」って言うんですけども(笑)。
マイルスはそんなんなって、いろいろ実験もできるし、アカデミズムたっぷりのメンバーも雇えますし、いろんな事があって、どんどん成功していきます。オーネット・コールマンは残念ながら、時代と相容れることが出来ず、ま…長生きして、つい先日6月11日、享年85…亡くなるまでの間に、マイルスほどバンバンにレコードが売れて、ジャズ史上に輝く名盤を何枚も出したってことは、さすがに無いんですけれども、とはいえ、やっぱり好事家にはたまらない仕事ぶりを残しているんですね。
で、今ワタシがやりたいことは何かっていうと、59年の「来るべきもの」の時の、無教養主義のオーネットの演奏と、さらに8年後、65年のマイルス・デイヴィスの…失礼、67年ですね…マイルス・デイヴィスはこのグループで、アコースティックのジャズでやれることはやり尽くしたって判断して、いわゆる「電化マイルス」…ワタシがやってるdCprGのアイコンなんかになっている「エレクトリック・マイルス」、ファンクに進んでいくんですけども。
その最後の…マイルスがファンクに進んで行く直前の、アコースティックのクインテットでやれる、人類がやれるプレイの極限地までやったと言われる「第二期ゴールデンクインテット…黄金クインテットと言われている、ロン・カーターハービー・ハンコックトニー・ウィリアムス、そして音楽監督であるウェイン・ショーターの加入、それでマイルス・デイヴィス。この時のマイルスのスタイルは、もうスペック的に言うとフル・スペックなんですよね。あらゆる知的な、音楽的な要素をくぐり抜け、経験し、フリー・ジャズの影響すら昇華し、ま…ジャズ史が持ってる情報をスペックとして還元した時に、完璧なフル・スペックになったから、これは結局言い換えれば、教養主義の極限ですよね。
一方、その8年前にオーネットがバンッ!って出て来た時は、無教養主義の極限なんですね。
この極左と極右の結論が、ひとつになるってのは(笑)…ま、音楽界でなくても、思想の世界でも文学でも科学とかでもあんのかもしれませんけど、ままあることですよね。極左と極右がぐるっと回って、結論が同じになる。
つまり何が言いたいかっちゅうと、今からマイルス・デイヴィスの「ネフェルティティ」ってアルバムの中の「ピノキオ」というウェイン・ショーターの曲をプレイしますが…の抜粋してプレイしますが、これはほとんどオーネット・コールマンの、つまり遡る8年前のオーネット・コールマンの「来るべきもの」の演奏と区別が付きません。
このことは恐るべきことで…ちょっと待って下さいね。
(曲)

これピアノいますよね。ハービー・ハンコックです、もちろん。ピアノいるんですけど、アドリブに入ると、ハービー・ハンコックは止めるの。コード進行が要らないという理由でどっかで聞いた理由ですよね?(笑)。…ちょっと飛ばしますね。
(曲)
もうアドリブになるとピアノがいないでしょ。
はい。今少し…マイルスの、教養と経験…すごいです、お城みたいな感じで、あらゆるジャズのボキャブラリー、楽理…ポリリズム、モノリズム、クロスリズム…あらゆるリズム、ハーモニー、サウンドの可能性…全部を教養として持ってる、しかも若くて有能なメンバー達と練りに練って作った、そしてもうこれ以上やることが無くなって、あともうエレクトリックしかないっていう、最後の極限地と、その8年前にオーネットが何にも考えずにやった音楽が、ま…「パッと聞き」としますよ、パッと聞き…ほとんど区別が付かないっていうことが、今日の番組のやりたいところだったので、今からそのパッと聞き区別の付かない時間を4〜5分楽しみたいと思います。
ワタシのほうで勝手に…テンポ会わせたほうがもっとわかんなくなるんですけど、それやりながら合わせていきますね…オーネット組とマイルス組のアドリブのところをミックスします。
(曲)
え〜…これ、恐るべきことだと思うんですよね(笑)。
これもよくある話で、マニアが聞けばわかりますよ、そりゃもちろん。全然違いますよ、これ。
片方はもうノー・スペックっていうか、とにかく初期衝動だけでやってますから。で、片方はさっきも言ったようにフル・スペックで、すべてを知った…なんつったらいいのかな…ハーバード、コーネルのエリート、こっちは高卒中卒の集団なわけなんですよね(笑)。
ところが鳴ってる音は、ジャズのリテラシーがない人から聞いたら、ほぼ同じだと思うんですよ。ここがおっそろしいですよね。
で、しかもですよ、マイルスは「カインド・オブ・ブルー」っていうアルバムで、59年にオーネットの今聴いてた「来るべきもの」に匹敵する激震をジャズ界に与えながら、さらに67年に…さらに研鑽と研鑽を積んで仙人みたいになった結果(笑)、59年のオーネットと一般的には見分けが付かなくなった、このことですよね。
今度は2枚がけのプレイで同時に鳴らしてみましょうか。
(曲)
ワタシ…夜中にこれ1時間とかやってる(笑)…ほんとにヒマ人っていうか、「ジャズが好きなんだな〜、我ながら。」って思いますけど。
ここに思いを馳せる時の…ほんとに教養主義と無教養主義ね、あとライバル関係ですよね。マイルスの内部に何かオーネットと共鳴するものがあった、オーネットもマイルスと何か共鳴するものがあった…これはほんとによくある月と太陽の関係というか。ま、そりゃあディスり合うよなあ…っていう。
有名な…二人をいよいよタイマンで写真撮ってみたら、オーネットのガンタレがもの凄くて、マイルスがちょっと弱そうに目を逸らしてるっていう、ガンタレ負けしたマイルスの写真が有名になってますけど(笑)。あれもワタシの拙著「M/D」っていうマイルス研究の本にちょっと入ってたりしますけどね。あれもね、別撮りだっていう説があったり、いろいろ難しいんです、ほんとのとこは。
でもね、ほんとは何だったかは問題じゃないんですよ。どう聞こえるかが問題であって。
やっぱね、ここの極右と極左が…しかも教養主義の人が8年もかけて、8年前の無教養主義と同じ結果になるっていうことの面白さが、やっぱジャズの面白さだったと思いますし、オーネットとマイルスにだけある関係ですよね。
ま、この後、今後オーネットとマイルスがどうなっていくのか?ということに関しては、またまた「ジャズ・アティテュード」があった時のお楽しみということで。
今回はオーネット・コールマンを偲ぶというかたちで、ただ1曲聞くだけではなく、ま…あまり聴かれないかたちでのオーネットの紹介をしてみました。