「貪欲さの肯定」

菊地成孔氏の日記の言葉に、ものすごく感動した。
立川談志師匠の突然の訃報を受けての文も、愛があってクールな文章で感動的だったが、その一日前の日記を読んで…大げさに言うと、神の啓示的なものを感じた。
http://www.kikuchinaruyoshi.net/2011/11/22/ダブセクステット-としては-活動終了/
以下、一部抜粋して引用させていただきます。

 貪欲さが必要なのです。今の我が国の欲望は、一見貪欲に見えるけれども、その実言うなれば予め諦められている上でのものです。諦めてはいけない。諦めは絶対に良くありません。これは勿論、「金がないから欲しい物が買えない」といった話ではありません。心の倫理としての美学の問題なのです。まず第一に貪欲である事。その自覚と実行が無ければ、あらゆる余裕は生み出され得ません。現在の我が国には圧倒的なまでに余裕が足りない。それは、それ以前に、抑止のかからない貪欲さが足りないという事なのです。貪欲さに欠け、余裕に欠けた社会は、ほぼ間違いなく、自由を犠牲にします自由を犠牲にしてはならない。自由には貴賤が無い。それどころか、自由には大小といったサイズすら無い。マクロからミクロまで、自由は遍在します。自由だけがアクティヴなのです。ジャズの演奏は、その事実とストレートに直結しています。ジャズだけではない。恐らく、ワタシが知らないだけで、様々なスポーツも恐らくその事と直結しています。ワタシはラジオの活動も、そのつもりでやっています。

ツアー終了後の日記の文章の間に、目から鱗が落ちるような、真理に迫る名言をさらっと付け加えるあたり、クールとしかいいようがない。
しかも、ここ数年、ましてや震災を受けて、自分の欲望を肯定することにどこか後ろめたさを感じて日々を過ごしていたところに、こんなに勇気づけられる言葉はなかった。
そうだ、精神の自由を貪欲に追い求めるのだ!
まだ読んだことがない本を読みたいと思い、聴いたことがない音楽を聴きたいと思い、行ったことのない場所へ行ってみたいと思うこと…それが生きる原動力となる。
それすら否定しかねないこの現代社会に充満する閉塞感…。これをなんとか吹き飛ばさなくては。
菊地さんのように、インテリジェンスとユーモアを武器に、いついかなる時にも軽いフットワークで世の中を渡っていけるような、そんなオトナになりたいものだと、つくづく思った。

ユリイカ2006年4月号 特集=菊地成孔 正装の、あるいは裸の

ユリイカ2006年4月号 特集=菊地成孔 正装の、あるいは裸の