「さや侍」


松本人志監督第三回作品「さや侍」、新宿ピカデリーで観て来た。
古くからのダウンタウンファンを自認している自分でも、「映画監督」としての松本人志の才能には疑問を感じているわけで。
それでも「松っちゃんが監督として世間でどう評価されようと」、出来上がったものが面白ければいいと思ってた。実際「大日本人」は好きな作品だし、「しんぼる」も映画としてはどうかという腑に落ちなさはあれど、そこそこ面白かったという印象。
しかし、正直今回の「さや侍」に関しては最初から期待も持てなかった。予告を観た時に、「ああ、これはこの予告で示した範囲を超える展開にはなりそうにない」と思ってしまったので、多分ガッカリするだろうな…と。
ではなぜわざわざ観に行ったかというと、単に今週末の「シネマハスラー」の賽の目映画に指定されていたから。事前に観ておいてから「タマフル」を聴いて、宇多丸氏がどう評論するかを楽しむため。
思えば、「しんぼる」批評をたまたまYouTubeで聴いたのが初の宇多丸氏の映画評論だったわけで、そのあまりの的確さに驚いたのが「シネマハスラー」にハマるきっかけだった。
やはり「しんぼる」の回は評判も高かったのか、それは今週のTBSラジオスペシャル・ウィークにわざわざこの作品「さや侍」を合わせてきたことからも窺える。
先週末公開されたばかりとあって、スクリーン3はほぼ満席になっていた。仕事が終わってから大急ぎで駆けつけ、席に着いた途端に本編が始まりギリギリセーフ。
ただ黙々と走り続ける野見勘十郎(野見隆明)とそれを追いかける娘・たえ(熊田聖亜)のシーンで映画は静かに始まり、男が何に追われているのか説明がないまましばらくすると、橋の向こうから現れた三味線のお竜 (りょう)に、すれ違い様にいきなり斬りつけられる。ここで急に過剰に漫画的な画面構成になり、一瞬呆気にとられるが、それが松っちゃんらしい不条理なギャグ演出だと分かり、客席から笑いが起こりはじめた。
やがて男が脱藩の罪で賞金がかけられていたことがわかり、ついに捕われて切腹を申し付けられるのだが、笑わなくなった若君を笑わせることが出来たら無罪放免になるという「お題」を与えられる…。
このお題がそのまま作品のストーリーなのだが、それは予告編の中で全部言ってる。それを町人たちのセリフでかなりベタに語るので、「ああ、ルール説明を序盤で済ませて、とっとと『罰ゲーム大会』をやりたいんだな」と露骨に分かってしまう。
男がなぜ腰に鞘のみを下げ、刀を捨てるに至ったか…その理由も娘のセリフで言ってしまうし、どうやらドラマ自体はあまり掘り下げる気がないらしい。
やはりまったく演技が出来ない素人の野見さんを主役に据えたことによる制限があまりにも大きいのではなかったか。心理描写も何もないから、肝心の主人公に感情移入できないんだよね。(娘には同情はするけど)
周りを個性的な役者で固めて、主役は何もしないのに話が進んでいく展開はよく考えられてはいるが、いかんせんセリフが説明的になったり、行動がご都合主義的になってしまうので、ちょっと自分は乗れなかったなあ。(門番役板尾創路柄本時生のコンビはとぼけたいい味わいが出てた)
結局、「若君を笑わせたらゴール」という直線的なストーリーにはなんのツイストもないまま進んでいき、過去の回想シーンでも挿むかなと思ったがそれもなく、時間の経過も一方向のみ。思った以上に間(ま)を長くとるので、結構ダレる。観客の予想を越える速さで、場面をバッと切り替えたり、ツッコミを入れたりしてくれないと、気持ちよく笑えない。どうも映画になるとテンポが悪いのは、「映画の観客は幅が広いから、少々考える間を与えてやらないと…」という作り手側の変な遠慮みたいなものがあるからではないか。海外出品を意識しすぎて失敗した「しんぼる」同様に、今回は「時代劇ですよ、子どもも出ますよ、面白いゲームもあるし、ホロリと泣かせるシーンもあって、お年寄りまで楽しめますよ〜」という自分たちで設定した映画の定義に縛られ過ぎているような気がするなあ。
笑っていた観客は多かったようだったが、正直自分はほとんど笑えなかった。
ちょっと最近のMY映画ブームに引っ張られ過ぎて、「作品の完成度はどうか」とか批評的な目線で観過ぎてしまって、楽しめなかったみたい。残念。