「キム・ギドク二本立て。」


キネカ大森でキム・ギドク監督特集として「悲夢」と「春夏秋冬…そして春」の2本立てを上映していたので、観に行った。
新作「アリラン」公開記念ということで、このタイミングでの名画座二本立てだったのだろうが、先日「悪い男」を観て、キム・ギドク監督作品に興味がわいてきたばかりの自分にとっては絶好の機会。
アリラン」が、自分で自分にカメラを向け、近年映画を撮れなくなってしまったキム・ギドク監督の独白ドキュメンタリーという、特殊な作品らしいので、まずは彼の近年の作品を観ておいてから「アリラン」を観るべきだろうとも思っていた。
キネカ大森は何度か来ているが、シアター3で観るのは初めて。場内に入った瞬間、あまりに狭いのでびっくりした。40席しかないらしい。…しかしほとんど埋まった。サービスデーとはいえ、平日の昼間なのに。若い女性もいたのは、「悲夢」がオダギリジョー主演だからというのもあるのだろうか。
最初に観た「悲夢」は、なぜオダギリジョー主演にする必要があったのかよくわからないが、彼が日本語で話すと、それを聞いた相手が普通に韓国語で答え、その韓国語にオダギリジョーが日本語で普通に返すという、なんとも不思議な作品だった。本国で公開された時はオダギリジョーのセリフのところだけハングルで字幕が入ったのだろうか。
なんかそういう余計なところが気になったり、後はどうもオダギリジョーの芝居がとても上手いとは言い難くて、いまいちストーリーに入り込んでいけなかった。
オダギリジョーが眠り、夢を見ている間、夢遊病の女性が彼の見た夢の通りに行動してしまうという、超現実的なストーリーだったこともあるので、リアリティが掴み切れず、「なんだか変な話だな〜」と半分うわの空で観てしまっていた。
しかし、後半どんどん二人が追い詰められていくにつれて、変な緊迫感が高まってきて、なかなかスリリングだった。特に、オダギリジョーと、彼の夢の中に出てくる彼の昔の恋人、夢遊病の彼女と彼女の今では憎んでいる昔の男の4人が、同時に存在するはずがないのに同じ場所にいて、別れ話で修羅場の男女とそれを傍観する男女、この二組がなぜか途中で入れ替わり、4人全員が当事者で全員が傍観者になるというシュールな場面は非常に面白かった。(シュールな場面過ぎて、うまく説明できない)
いろんなメタファの伏線の張り方とかもやはり見事で、アート性が高い。
次の「春夏秋冬…そして春」は季節毎の4部構成になっていて、構造的に分かりやすい。
山奥の湖に浮かぶ古い庵に暮らす老いた僧と、まだ幼い小坊主。無邪気に無意味な殺生をする小坊主に、老僧が厳しくも愛情を持って教え、諭す。この春の場面から始まる。
夏の場面は、数年後、小坊主は思春期を迎えた少年になっており、寺に養生のために滞在することになった少女に対して欲望を抱く。
秋はさらにその数年後。寺を去っていた元・小坊主の男が、再び老僧の元へ返ってくる。
ここまでで幼い小坊主だった男の子が成長して、やがて悲劇的な事件を起こすまでの成長と挫折を、淡々と描いている。そしてそれを黙って見守り続ける老僧。
人間の業を季節の移り変わりと共に、簡潔に見せて行く、見事な作品。
そして冬の場面では、老僧が亡くなった後の庵に、さらに年齢を重ねた中年の男として帰って来て、山寺を再建する。この時の男を演じているのが、なんとキム・ギドク監督本人
肉体を鍛え上げ、厳しい冬の自然の中で孤独に暮らす男を演じながら、まさに監督自らが映画の中で、仏門と同様の修行に励んでいる。
重い石を体にくくりつけて山を登り、頂上に仏像を置きに行くというシーンは、やらせではない本気度が伝わってくる。監督の映画作りに対する執念を感じた。
この作品こそが、「アリラン」を観る前にまずは必ず観ておくべき一本なのだと思う。
他にも観ていないキム・ギドク作品は多数あって、追ってDVDで観ていきたいと思ってはいるが、このタイミングでスクリーンでこの2本を観れたことは、貴重な経験だった。
キネカ大森の名画座二本立ては実にありがたいよ。

春夏秋冬そして春 [DVD]

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