W杯から学ぶこと。

サッカーワールドカップ、全試合が終了した。
オランダvsスペインは決勝に相応しい好ゲームで、劇的な幕切れは感動的だった。
グループリーグでは守備的なチームが結果を出すことが多かったので、「何だよ結局ガチガチに守ったもん勝ちかい…」と不満だったのだが、決勝トーナメントに入ってからの各強豪国の戦いぶりは流石だった。やはり点の取れないチームはある程度より上は望めないことを明らかにした。そしてさらに、美しいパスサッカーを展開するスペイン、多角的で様々な攻撃バリエーションを駆使するオランダの2国が優勝を争ったことにより、技術と創意工夫の優れたチームに栄冠がもたらされることも証明された。これからのサッカーのモードをより可能性がある方向に示したことは、本当に良かったと思う。
日本代表は善戦したが、世界の一流国の戦いぶりを観ると、学ぶ点は多い。
それはサッカーの戦術に限ったことではなく、優れた人材を輩出するための、日本という国が進むべき方向性といった大きな問題にまで広げて考える必要もありそうだ。
結局相変わらずの得点力不足、それは優れたストライカーを生み出しにくいという日本の短所を痛感することになった。それは「和」や協調性を大事にするあまり、「出る杭は打たれる」的な抑制がかかり、個人としてリスクをとらなくなるという「日本人の問題」そのものであるということに、多くの人は気付いている。
本田圭佑が唯一の希望のように持ち上げられているが、彼のような突出した個人がたまたま現れてくれるのを待つのではなく、どうしたら彼のように個人でリスクをとって勝負する逞しさを持った人材を生み出していけるのか、社会、国全体で考えていかなければならないのだと思う。
それは強いリーダーシップを政治家に求めても、今や「無いものねだり」にしかならないという絶望的な政治状況とも呼応する。
だが、資金を投入し、育成機関を充実させ、バックアップ態勢を強化するといったやり方では、旧態依然のシステムを破る個性は現れてこないだろう。
中田英寿にしろ本田圭佑にしろ、彼等のような突破者は、日本の現状にノーを突きつけた、むしろ反逆者である。海外で切磋琢磨することを自ら選んだ、変わり者なのだ。決して日本サッカーの成熟、成長のシンボルなどではない。
やはりスポイルしてはダメということだね。教育とか、いろいろ考え直していかなければならないと思う。
空気を読まない、和を壊すような個性が、結局「国益」というと大げさだが、希望と勇気を与えることになるのだという例を、ワールドカップを通してひしひしと感じた。
目先の利益や欲望に振り回されて、ゴネたり談合したり根回ししたり、といったことを続けることは、最終的にいい結果に結びつかないんだよというメッセージを、メッシのドリブルから、イエニスタの自由な動きから、シャビ・アロンソの美しい縦パスから、ロッベンの強引な突破から…、学ばなければならない。