「息もできない」

息もできない [DVD]

息もできない [DVD]

先週末「GONZO」を観たシネマート新宿に、中二日で「息もできない」を観に再び来館。10ptで1回無料になるというので作ったポイントカードが早くも6ptになった。
GONZO」は335席もある広いスクリーン1の方でわずか20人くらいの観客という閑散とした中での鑑賞だったが、今回は7Fのスクリーン2の方で観ることになった。62席しかなく武蔵野館2よりさらに小規模。座席には肘掛けもなし、背もたれも低く、前列との間隔も狭いという結構しんどい環境。まあ、アンコール上映だし仕方ないか。それでも平日の昼間にしては8割がた埋まっていたので、やはりロングヒット作といえるだろう。
世界各国で数多くの映画賞を穫り、雑誌等でも軒並み高評価の作品で、大いに期待していたが、どんな内容なのかはほとんど知らないままに観た。 …こんな暴力シーンの多い映画とは思ってもいなかった。ポスターの印象から、なんとなく純愛の映画なのかと…。
ただ、観終わって、はっきりと断言できるが、この作品は素晴らしい。生涯心に残る1本になった。 鑑賞した作品数も少なく造詣も浅い自分が傑作!とか名作!とか言っても、質の保証になんの影響もないだろうが、個人的にはもういろんな人に薦めてまわりたくなる映画だ。
監督・脚本・主演などを務め、この作品イコールこの人というくらい深くコミットしているという、ヤン・イクチュン氏の、ほんっとに…魂が入っていると感じた。 そんな文字通り心血注いだ作品のタイトル…、英語タイトルが「BRETHLESS」だったから邦題は「息もできない」になっているが、原題は「トンパリ(糞蠅)」だというからそれもまたすごい。
ヤン氏が演じた主人公のサンフンという男は、感情をうまく言葉に置き換えるすべを知らず、ただ暴力をふるうことでしか心を外側に放つことができない。自暴自棄の日々はまさに「トンパリ」のような社会の底辺の生き方のように見える。拳をふりあげる度に何度も繰り返される罵り言葉に込められた怒りや悲しみや諦めの理由を、観る側はやがて知ることになるのだが、本当にやるせない気分になる。そこにある暴力の連鎖の原因は、特殊な事情によるものではなく、ありふれた日常の中で僅かな歯車の狂いで、誰の身の上にも降り懸かりうることだからだ。多くを語らず、むしろ他人に理解されることを拒むような態度しかとらない男を演じながら、全身で体現し伝えてくる、まずはその演技に圧倒される。
すでに俳優として十分なキャリアがあり、実は演じたサンフンとは似ても似つかない知的で好人物だというヤン氏だが、映像作家としての力量を試したくて…とかそんな理由でこの映画を作り始めたのではない。最初から生涯の一本のつもりで、自らの救いを求め、この作品にすべてを込めた。 幼い頃からの実体験とそれに基づく過去の記憶、行き場のない感情などが積もり積もっていて、作品として結実させなければ思いを浄化できなかった。自己を投影したサンフンという男の人生を生きてみせなければ、過去の自分を葬り去れなかった。資金調達のために自宅を売り払うまでしたというが、まさに撮らずにはいられなかった一本だったのだ。
だからそのワンシーン、ワンカット、すべてに必然性があり、説得力を帯びて観る者に迫るのだろう。暴力シーンでは、ふるう側とふるわれる側の両方の心の痛みが伝わってくる。無言でたたずむ姿の背景に、登場人物それぞれに重くのしかかった逃れられない残酷な現実が垣間見える。ヒロインの女子高生・ヨニや、甥っ子とのふれあいなど、心温まる場面もあって、終始重苦しい映画というわけではないが、その場面がまた切ない。観終わった後には、人が生きることの悲哀が深く心に刻み込まれているのだ。
ラジオ番組で宇多丸氏のインタビューに、この作品はすでに自分の手を離れ、他人事のような気がすると答え、次回作についてはまったく考えていないと語ったヤン氏。再びやむにやまれぬ動機に駆り立てられるようなことがない限り、映画を撮るつもりはないというその姿勢は、表現者として誠実だと思う。
職業監督として作為的に映画と向き合うことはできないとしても、感受性の鈍い偏見と屁理屈にとらわれた自分のような人間の心を一発で打ち抜くほど圧倒的なものを作り上げたのだから、作家としての力量は疑いようがない。いつになるかわからない次回作を楽しみに待ち続けることにしよう。