「メタボラ」

メタボラ

メタボラ

桐野夏生は「東京島」を読んだっきりだったのだが。
意味不明だが即記憶に刻まれるタイトルとその膨大なボリュームにまずは興味を惹かれる。
読み始めると冒頭、なぜかジャングルを這いずり回っている主人公が、自分が今いる場所も時間も全く分かっていないらしいという極限的な状況から物語がスタートする。
そして謎の若者との偶然の出会い。なんとかコンタクトをとり言葉を交わしながら、自分が置かれている状況を把握しようと必死になるのだが、そこで主人公は自分が誰だか分からない記憶喪失状態にあることを知って愕然とする。
(物語の設定の中にとりあえず主人公を放り込んでしまう、その始まり方に、村上龍の「五分後の世界」を連想した。)
混乱している主人公に、宮古島出身の若者(昭光)が「ギンジ」という新しい名前を付けたことで、そこから自分を形成していこうとするギンジと、この「メタボラ」という物語を読み解いていく読者がシンクロし、共感し始める。少しの停滞もさせない、このあたりの手際の良さは見事。
この何が起こってもおかしくない設定を用意し、その中で、沖縄の基地問題派遣労働者ニート問題、家族崩壊、集団自殺等、現在の日本が抱える問題点をふんだんに盛り込むチャレンジは志が高いと思うし、リアリティを得られるように細部まで表現する筆力にも唸らされる。
特に、回想の中で描かれる、連載当時大きく扱われていたであろう、搾取される派遣労働者の問題をリアルに描き、その状況に置かれた人がどのようにして追い詰められていくかを再現した章は真に迫るものがあった。
あと、なにげない会話の中で、一瞬でその場を凍り付かせるような場面の表現が見事で、女性作家ならではの内に秘めた残酷なまでの冷徹さが垣間見えた。
救いようのない物語を描きながらも、重苦しくなり過ぎないのは、主人公・ギンジと対照的に描かれる宮古のジェイクの存在が大きく、彼を通して、人間という存在は、実は社会の状況とかとはあまり関係なく、元々どうしようもなく不完全でそれゆえに愛らしくも憎らしくもあるという面を描いているからだと思う。
それゆえに、ギンジとジェイクのある種ラブストーリー的な展開に物語が収斂していくのは自然に感じられた。
とはいえ、「興味の持続」のために次から次に状況を変化させ、各テーマに焦点当てて掘り下げていかないため、やや表層的に感じられるところもあるのは、この作品が新聞連載だったからという事情によるところも大きいのだと思うが、逆にスピード感があって一気に読ませられた。
物語の終盤まで読み進めると「この話どうやって終わらせるんだ?」という不安が募ってくるが、やっぱりラストは納得のいく着地にならなかった。…いや、最後に主人公がとった行動がどうこうというよりも、そこに至るまでが性急過ぎて、ちょっと取って付けたようなエンディングに感じられてしまったのが残念。(これは「東京島」の時にも思ったことだが)

…関係ないけど、個人的にはなぜか、このラストの場面を読んで、柴田恭兵ジョニー大倉の「チ・ン・ピ・ラ」という映画のラストを思い出した。
本書のタイトルも「メ・タ・ボ・ラ」にすれば良かったのでは(笑)。