「初めてのイラン映画、『別離』」


仕事が早く終わり、明日から連休でちょっと開放感。帰りに渋谷に出て、Bunkamura ル・シネマで「別離」を観てきた。
「キラキラ」で町山智浩氏が紹介しているのを聞いてから、ぜひ観に行きたいと思ってはいたのだが、ようやく。
だいたいのあらすじを知り、何度か予告編を観て、どう〜しても結末がどうなるのか気になって仕方がなかった
ル・シネマは火曜日がサービスデーなので、この日に予定を立ててはいたが、さらに1日で映画の日ということもあって、19時20分の最終上映がほぼ満席。
初めて東急Bunkamuraの建物の中にも入ったが、ル・シネマはスクリーンの位置が低い上に、座席の間隔も狭く、椅子の背もたれも首までこないので、快適とはいえなかった。さらに座席での飲食は禁止…とか言うんだよな。…上映前に慌ててパンを口に詰め込んで、コーヒーで流し込んじゃったよ。
イランの作品を観るのも初めて。キアロスタミとか名前を聞いたことがある程度で、意外に上質な作品がたくさんあるらしい、とは思っていた。
この「別離」も、アカデミー賞外国語映画賞を受賞するなど、絶賛の声が多いようだ。脚本賞にもノミネートされていたというから、製作・監督・脚本をすべてこなしたアスガル・ファルハーディー氏の力量も窺える。
オープニングで、パスポートを連続でコピーするところを機械の内部から撮影したような映像。コピー機の光が左から右へ通過し、ブラックアウトしたところにクレジットのテロップが入るという、このアイディアの面白さに感心し、期待も高まる。
冒頭で協議離婚を申し立てる夫婦が正面を向いて並んで映り、カメラ側にいる家裁の判事に向かってそれぞれが申し立てをする。このやりとりで、この夫婦が置かれている状況、それぞれが抱えている思いと、その噛み合なさなどを、すべて自然に観客にわからせる…この演出も見事だ。
(以下若干ネタバレ含みます。)
妻・シミンは国外で暮らしたいと望んでいるのだが、夫・ナデルは認知症を患う父親を放ってはおけないという理由で拒否する。ひとり娘のテルメーがどちらと一緒に暮らすかということで争っているのだが、お互いの愛情が冷め切ったわけではない。
ナデルは自分が仕事に出ている間、認知症の父親の介護をしてもらうために、ラジエーという女性を家政婦として雇う。幼い娘を連れて遠くから通い、重度の介護もしなければならないラジエーは、失業中で気の短い夫・ホッジャトに内緒で仕事を続けていた。
ある日、ナデルが帰宅すると、ラジエーが父親をベッドに縛り付けたまま外出していた。ベッドから落ちて気を失い、危険な状態にあった父親を発見したナデルは、ラジエーに対して怒りを爆発させ、玄関から押し出して無理やり追い返してしまう。
階段のところに倒れ込むラジエーは、実は妊娠中だった。その晩、彼女が流産したという知らせを受けて、動揺するナデルを、ホッジャトは殺人罪で告訴する。
ナデルは、ラジエーが妊婦だということは知らなかったし、流産するほど強く突き飛ばした覚えはないと言いはるが、果たして真実は…?
…という話。それぞれに言い分があり、意見が対立したり誤解が大きくなったりして、どんどん問題は解決困難になっていく。
音楽が一切ないことで緊迫感は増し、最後まで興味が持続した123分。複雑な心理を見事に表現したドラマになっており、展開も起伏に富んでいて、非常に見応えがあった。
結末で、事故に関してはいちおうの真実は明かされる。でもそれですべてが解決するわけではない。
誰に罪があるかといえば、ナデルにもシミンにもラジエーにもホッジャトにも、全員に罪があるという救いのない状況で、ラジエーの厚い信仰心と、テルメー(ナデルの娘)の誠実さに、ようやく希望の光を見いだすことができる。
ラストシーン…再び画面に並んで映る夫婦。この長いショット、長い沈黙が感動的だ。
この後、二組の夫婦はどうなっていくのか…それは示されないままで、なんとももどかしいことこのうえないのだが、皆それぞれがあと少しずつ歩み寄る姿勢をみせてくれれば…という願いを込めて見続けられずにはいられない。
これは偏見に満ちた穿った見方かもしれないが、こういう複雑な心理を徹底して客観的な視点で描き、罪と赦しについて突き詰めた作品が、アメリカに仮想敵国に仕立て上げられ、国際的に非難にさらされているイランという国から生まれているということが意外…というと失礼だが、実に感慨深い。
いろいろ考えさせられるところの多い、いい作品だった。
だが…観終わった後も残るこのモヤモヤした気持ちは……あ〜もう!

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