「おっさんのロマン。」


男のロマン」という言葉は、口に出すのが憚れるほど恥ずかしい
いい年したおっさんが「それが男のロマンだよ!」と言う時の、自己肯定する図々しさが鼻についたし、若者に対して「今に君もわかる時がくるよ!」といったもったいぶった欺瞞さが嫌いだった。
しかしいつのまにか、自分も中年のおっさんになった。いつまでもナイーヴぶっていてはただ気持ちが悪いだけだ。
昔から熱しやすく冷めやすい気質で、「マイブーム」というみうらじゅん大先生の発明した便利なキーワードを用いて、一過性の熱に浮かれていることに照れながらも、本を読みあさり、音楽を聴き齧り、いろんな趣味に没頭してきた。
時間とお金を費やしたわりには、何にも身についていない。継続する根気とある程度の成果が見込めるまでの努力を怠ってきたからだ。
やがて、あんなに熱中していた対象に退屈しはじめる。が、興味はすでに違うものに向いている。
…というサイクルが続き、今は今で、ハマっていることがある。
35過ぎてから急に思い立ってサーフィンを始めた。まだなんとか継続している。
今までほとんど行かなかった映画館で数多く作品を観るようになった。
それまでロック一辺倒だったのに、菊地成孔先生に傾倒し、ジャズを聴き始めた。
その流れで、音楽理論を勉強しに学校に行くことになった。必要もあって、40の手習いでピアノのお稽古もしてる。
その時その時は充実しているが、いつまた飽きて違うことを始めるやら…。
いったいその動機はなんなのかと問われれば、「そこに可能性を見いだしたから」ということになる。
可能性といっても、自分が今からプロサーファーになれるとかミュージシャンになれるとかいうことではない。
「この本を読んでこれについてもっと深く知ったら、自分の考え方も変わるのではないか?」とか、「波乗りを体験することによって、自然の大きな力に身を任せたら、日頃の些細な悩みなど気にならなくなるのではないか?」とか、「理論がちょっとわかってきたら、今まで漠然と聴いていた音楽に、新たな発見を見いだして、より楽しめるようになるのではないか?」とか、そういう一歩先が拓けてくる可能性。
一歩先に進めると思ったら、頭のなかでイメージが膨らんじゃうじゃない。
その妄想と現実とのギャップを埋めていこうと思ったら、出来る範囲で実行可能なことから手を付けていくしかない。…結果、無意味に多趣味な人になる。
…いやいやいや、その実行力を仕事に生かせよ!
自分で自分にツッコんでて、まったく苦笑するしかないのだが、バリバリ働いている同世代の方に恐縮しつつ、「所詮、ひまつぶし人生よ…」とうそぶいてみる。
しかしぶっちゃけ自分が望んでいるのはそういうことで、「他人をうらやましがらないで生きていける」ようになりたいだけなのだ。
金持ちを羨まない。モテる男に嫉妬しない。権力を持つ人にへつらわない。
そういう自分でありたいが、なかなかそうはなれない。
本音は、金持ちもモテ男も超〜うらやましいし、反抗なんてポーズだけだ。
でもそんな自分を卑下しはじめたら、生きていかれない。
若い時はそういう自意識との戯れも仕方がないところはあるが、もうこの年齢でナイーヴぶってても仕方ないので、そこから自由になるために現実的に手を打って行くしかない。
オッサンとなった今、あえて言おう。
「オレは自由とロマンを求めているのだ!」と。

ミルの『自由論』とロマン主義―J.S.ミルとその周辺

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