「『瞬か』とは何だったのか?」


仕事帰りにレイトショーでも観ようと思って、時間が合えば「ダラス・バイヤーズ・クラブ」か「ラッシュ/プライドと友情」あたりに行こうとしていたのだが、「上映後のトークショーのゲストに、大谷能生緊急出演決定!」というのをTwitterで知り、急遽UPLINKに行くことにした。
「『瞬か』とは何だったのか?」というその映画は、フリージャズピアニストのスガダイロー氏の舞台公演のドキュメンタリー作品らしくて、名前こそよく目にするが、実はスガダイロー氏の演奏を見た事も聞いた事もなかった自分としては、楽しめるか、やや不安。
しかも、即興のピアノ演奏と、日替わりで登場するパフォーマーの身体性とのぶつかり合い…を見せる、かなり実験的な舞台だったらしく、そういうハプニングを含めた即興アートを楽しむことが出来ない自分には、最も苦手な部類のものを見せられることになった。
とはいえ、生の舞台を見るわけではなく、編集された映像作品を鑑賞するわけで、ダイジェスト的な部分もあるだろうし、編集・監督した方の視点によって、意図が明確になるわけなので、さらにそれを踏まえて大谷さんが何を語るかというところに興味があるので、こういう機会でもなければ、この手の作品を観ることもないんじゃないかと思い、結構楽しみでもあった。
スガダイロー氏の音には、「なんだかよくわからないが、すごい!」と圧倒させられたし、パフォーマンスも舞踏としてのスキルが分かりやすいものについては、驚きと感動もあった。
だが、やっぱりそこに意味を見い出しにくい「アート」的なパフォーマンスへの苦手意識は解消されず。
作品にも短い時間だが登場した大谷能生さんは、上映後のトークで、ちょっとおどけた登場の仕方を依頼されたのが気に入らなかったらしく、さらにお酒も入っていたからなのか、かなり不機嫌なご様子で、監督に対してかなり厳しいダメ出しのようなコメントもしていた。
舞台芸術における即興の捉え方が、フリージャズの文脈に寄り過ぎているのがやや残念。」というようなことだったと思うが、なるほどと思えなくもないし、難しい要求をなさるなと思えなくもない。
いずれにせよ、自分にはやや難解。
まあ、でも貴重な体験だったし、刺激にはなった。アートの世界はおそろしい…とも思ったけど。

スガダイローの肖像・弐

スガダイローの肖像・弐