「リアリティのダンス」


ホドロフスキーのDUNE」に引き続き、次の15:40の回で「リアリティのダンス」を観た。
自意識過剰なだけなのだと思うが、自分は、映画や音楽のライブを観たりしている最中でも、「うわ、これはすごい!…明日、友人に『あの時のあれがスゴかった!』と伝えよう。この場面よく覚えておこう。」とか、そういう雑念が常に邪魔をして、なかなか作品に没頭できないことが多いのだが。
ホドロフスキー作品を観る際にだけは、その雑念によって現実世界に引き戻されることが、ありがたいと思わずにはいられない。
だって…これ真に受けたらヤバいでしょ。
ホドロフスキー監督の23年ぶり!の新作。
南米チリで生まれ育ったロシア系ユダヤ人という、自身の特異な生い立ちを振り返った、半自伝的作品。
軍事政権化で革命運動に関わるが、息子にはマッチョイズムを叩き込もうとする暴君のような父親と、息子を自分の父親の生まれ変わりだと信じ、発する言葉はすべてオペラ調の歌にのせるという奇妙な母親の間で葛藤する少年の成長を描く。
摩訶不思議な空想の映像が度々挿入されはするものの、ホドロフスキー作品にしては意外なほど、きちんと筋がある物語的な映画だなあ…と安心して観ていられたのだがそれもつかの間。
またもフリークスが大量出演。無修正の裸体も躊躇なく映す。死をめぐる怪しいエログロい儀式。行き過ぎた信仰とそれを根底から覆す暴言や暴動。群衆となると浅まし過ぎる行動をとる人間の愚行への怒り。すべてが過剰過ぎて、どんどん混沌としてくる。
父親であるハイメが大統領暗殺を企てて家族のもとを離れて行ってから、さらに怒濤の展開。
(このハイメを演じているのがアレハンドロ・ホドロフスキー監督の長男のブランディス氏。長い髭をたくわえると、「エル・トポ」等に出演していた当時の父親そっくり。アレハンドロ氏本人も、幼少時の自分役の少年の背後から声をかける霊的存在として出演しているので、過去と現在と未来が入り交じった状態で、ますます目にしているのがいつのどこの物語なのかわからなくなってくる。)
大統領暗殺に失敗するも、精神的ショックで両手の指が硬直したままとなり、一時は記憶も失って彷徨うハイメ。全てを失って家族のもとに帰りたいと思うも、ナチスに囚われて拷問を受ける。
贖罪と救済…スピリチュアルなメッセージが前面に押し出されるが、あまりに露悪的で卑俗だが同時に幻想的で美し過ぎる映像とのギャップによって、観ている側の脳内はますます混乱していく。
カルト作家の極みであるホドロフスキー、やっぱり甘くみてはいけない。85歳にして衰えを知らず。あらためて畏怖の念を抱いた。
チリの鉱山や海辺の街並の映像を見ながら、ホドロフスキーの作品と「南米マジック・リアリズム文学」との共通点に、初めて考えが至って、「なるほど!」とひとりごちたりもして、つくづく普段邪魔な自意識が時々働いてくれたことで、現実を見失わずに済んでよかったよかったとも思ったり。

リアリティのダンス

リアリティのダンス