「ホドロフスキーのDUNE」



アップリンクに「ホドロフスキーのDUNE」を観に行った。
午前中にプールに泳ぎに行って、カレーうどん食べてから家を出たら、上映時間ギリギリに着いてしまい、序盤で眠いわお腹くだるわで、なかなかしんどい状態での鑑賞。
ドキュメンタリー映画ではよくあるが、関係者の証言インタビューが続いているうちにウトウトしてしまったが、アニメーションによる再現など、画面に動きが出始めてからは眠気がとれ、そこから俄然面白くなって、最後まで集中して観れた。
実現しなかったSF大作映画についての話なので、「たられば」ばかりなのかと思っていたが、特殊効果の問題も解決済み、カメラのアングルからすべて指定したストーリーボードも出来ており、具体的なキャストも(それもありえないほどのオールスターによるキャスティング!)美術や衣装のデザインも決定していたということで、ほんとに後は撮るだけのところまで漕ぎ着けていたとは知らなかった。
もちろんホドロフスキー監督の頭の中にはすべて出来上がっている。
確かにこれが完成しなかったことを、今でも多くの人に悔やまれているというのは納得できる。
制作過程のエピソードはいちいち面白かったし、実現に向けて少しずつ具体的に決まっていく状況を追体験することで、どんな作品になるのだろうと、観ている自分も夢も膨らみワクワクした。
ホドロフスキーという人は、スピリチュアルな領域にまで達している奇人の極みのような人なので、ともすれば彼の言葉は大言壮語にしか聞こえず鼻白んでしまうことになりかねないのだが、それでも85歳とは思えないエネルギッシュさとユーモアのセンスに誰しも魅了されてしまうのは間違いないだろう。
本人の語りのシーン中でも特に、自分の手で実現したかった「DUNE」の企画が他人の手に渡り、デヴィッド・リンチ監督で完成、公開された時の反応の素直さときたら。その無邪気さに爆笑した。
そして映画に対する過剰なまでの情熱、人々の意識を変革する芸術を作るのだという強い意志と大いなるロマンティシズム、あらゆるタブーを恐れない勇気を一身に体現しているホドロフスキー本人を目にしていると、生命力を受け取ったと感じ、常識から解放される自由さを感じて、何だか分からないけどなぜか元気になってくるのだ。
映画の最後のほうでは、未完に終わったこの作品の制作過程であらゆるところに蒔いた種が芽吹き、その後世界に大きく影響を及ぼしているので、「人々の意識を変える映画を作る」という目的は果たされているともいえるというようなことを言っているが、それが負け惜しみや慰めの言葉ではないことを、この「ホドロフスキーのDUNE」という作品が見事に証明している。