「アメリカン・スナイパー」



仕事帰りにレイトショー。「アメスナ」観てきました。
…「アメスナ」って略すと「雨と砂の女王」みたいだな。
アメリカン・スナイパー」…クリント・イーストウッド監督のことだから、誠実だが地味な反戦映画…なのかと思ったら、全米で記録的な大ヒット。
それも「愛国的で、戦争を支持する傑作」として保守層から強く支持されている、という。
…まさか?と思って観に行った。
町山さんの感想をラジオ聞いていたので、戦争賛美映画というのは多分に誤解で、戦争によってPTSDに苦しめられる人々を描いた作品なのではないか?とも予想していた。
しかし先日、菊地先生のブロマガでの映画評を読み始めたら、

〈「とうとう出ちゃったイラク戦争西部劇」であって、これがイーストウッド作品の興行成績を塗り替え、アカデミー賞のノミニーになるアメリカのヤバさ(物凄く納得出来るので)をひしひしと感じ、嫌だなあ。ヤバいなあ、凄いなあアメリカって。本当に。と思っています。〉

と書かれてあったので、その先は読まずに自分の目で確かめようと思ってもいたのでした。
で、なるべく先入観を持たないように努めて、実際に観てみたら…。
うん、これは確かに賛否分かれるなあ。
決して「戦争を支持する」作品ではないと思うし、イーストウッド監督がそういうつもりで作ったのではないというのも分かる。
実在の人物であるクリス・カイル氏の回想録「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」を映画化したというが、彼が英雄として讃えられているアメリカという国の病いについて考えさせるような内容にもなっていると思う。
しかし、ちょっとメッセージが伝わりにくいのでは?…というのも、これはイーストウッド監督の意向というよりも、制作会社や遺族への配慮など、背後に政治的なプレッシャーを受けて、歪められた部分が大きいように思えるからだ。
というか、そもそも映画の構成自体があまりうまくないような気がする。巨匠となったイーストウッド監督だから…というつもりで観てみると、あれ?と思うところが多々ある。アカデミー賞で評価されなかったのも、内容はともかく作品としての完成度に疑問が付いたからというのもあるのではないだろうか。
やっぱり映画のラストに実際のクリス・カイル氏の葬儀の様子をドキュメント映像で流し、それがさも全米が悲しんだ国葬のように見えるというのを持って来たことで、ほぼ台無しになってしまった感は否めない。
主演のブラッドリー・クーパーの演技は素晴らしかったが、それでもいろいろ省略し過ぎなのか説明不足なのか、戦争に対する葛藤もあまり描かれないし、そもそもなぜ積極的に彼が戦争に向かうのかという理由も深く掘り下げない。
これでは…幼い頃に射撃の腕を褒められるなど、元々才能があり、弟思いで正義感の強い男が、田舎にいるままだったら荒っぽいカウボーイでしかなかったのに、戦場でなら自分の特技を存分に発揮できて、仲間から「伝説」と呼ばれるほどの信頼も集めていく…という、サクセスストーリーとしか思えないよな、やっぱり。
結局、「仲間が殺されたんだ。同様にあいつらを殺して何が悪い。」「国を守るということは、家族を守ることなんだ。じゃあ、オマエは家族を殺されても何もしないでいるのか?」ということで、正当化する戦争支持者たちから意訳されていく、格好のエクスキューズ作品になってしまったのではないか。
…まあ、こんなふうに「なんだかなあ。どっちが正しいとか、はっきり言えないよね。」といった曖昧な感想でお茶を濁してしまえるのも、自分がやっぱり中東で起こっている戦争に対して他人事としか思っていないからなのだな、とも思う。
アメリカに住んでいたりして、当事者意識が強ければ、こんな悠長なことは言ってられないのかもしれない。
ただ「殺らなきゃ殺られんぞ、どうすんだ?」という決断を迫られるような状況に置かれたくない。そうなる前になんとかできんのかね。みんながちょっとずつ譲りあうとかで。
…と願う、というか祈るしかできないのだよ。少なくとも自分自身は。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)