「セッション」



新宿コマ劇場跡地に、先日オープンしたばかりのTOHOシネマズ新宿に「セッション」(原題「Whiplash」)を観に行ったので、その感想。
この作品は、だいぶ前にTBSラジオ「たまむすび」で、町山さんが紹介されていたのを聞いて、面白そうだなと思い、もともと観に行くつもりでした。
ただ、公開前にこんな騒ぎになるとは…(笑)。
「ビュロ菊だより」も購読しているので、「アメリカン・スナイパー」も「はじまりのうた」も、菊地先生の映画評を読んでから観に行ったりもして、それで自分の感想は菊地先生とどう違うのか?を確かめたりするのも、また楽しかったりしたのですが。
今回は1万6000字も費やして、かなりの檄文でこの作品を酷評されていただけでなく、それに対して町山さんがブログでアンサーを返し、真っ向から意見が対立することとなり、そのやり取りがTwitterとかで話題になっていました。
どっちが正しいかとか、別に「対決!」とか大騒ぎするほどのことではないんじゃないかとは思いましたが、いろいろなところに影響を及ぼしたようで。
自分も気になって、これに関連して、高橋健太郎さんの「セッション」評も読み、宇野維正さんの評も読んでしまったので、もう映画観る前からネタバレも何もあったもんじゃないという状況(笑)。
それでも、別に菊地先生が酷評されているから、この映画は観ない…とはまったく思わなかったし、町山さんが褒めているんだから、今回は菊地先生の意見が間違っているのだろう…とも思いません。

ほんとは何も先入観を持たずにこの映画を観て、自分なりの感想を持った後に、「へー、こういう意見もあったのか〜。」と思えれば良かったのですが、でもむしろいろんな批評を読んで、逆に興味が強くなったと思います。
もうだいたいのストーリーは知ってしまっているので、この映画を観る時のポイントは一点のみ。
映画の宣伝文句にある「ラスト9分20秒の衝撃!」に、果たしてカタルシスはあるのか、否か。
最後の演奏シーンに自分はアガるのか?どうかということでした。
とにかく最初から最後まで、主人公ネイマン(マイルズ・テラー)が、音楽学校の鬼教師であるフレッチャー(J・K・シモンズ)に、徹底的にイジメぬかれることはわかっていたのだから、憤懣と鬱屈が溜まりに溜まる時間が続くことは覚悟していた。要は最後にそれが一気に昇華できるのかどうかというところで、この作品の良し悪しが判断されると思ってました。
で、実際に観終わって…
いやあ〜…ダメだ〜、これ。
自分はカタルシス感じなかった。
音楽的な好き嫌いは人によって違うし、演奏が酷いとか判断できるほど耳も良くないけど、少なくとも「桐島部活やめるってよ」のラストの吹奏楽部の合奏シーンのような、音楽的な展開と登場人物の心中がシンクロして、最後に高揚感があるようなシーンを期待したのだったが、そもそもそんな期待が間違いだったのか。
むしろ最後のどんでん返しが、より悪意のある方に転んだことへの不快感が解消されずに、胸のうちにモヤモヤと残ってしまい、この後味の悪さは、なんか「ヘイトスピーチの強烈なのを聞かされて、アジられて、一緒になって罵詈雑言のシュプレヒコールを上げたら興奮した…けど、後でめっさ凹みました」的な感じで…。
確かに興奮させるようには作られている。実際に血と汗が飛び散る映像で、スポ根もののクライマックスとしては熱いシーンになってはいるし、最後まさに切って落とす幕切れだから、観終わった時に「うわ、なんかヤベーもん観た!」となるのもわかる。
だからと言って、これがいい映画かというと、やはりそうは思えない。
音楽的な高揚感とは別のカタルシスがあるんだよと言われても、やはりあまりに悪意がありすぎるし、監督の怨念がこもり過ぎてて、これが話題作となり各賞を獲って、拡散されるネガティブな要素を考えると、やっぱりタチが悪いと思う。
物語としても、主人公は何も成長していないのだから、通過儀礼を経て大人になるわけでもなく、ドラマとしても成立していない。最後二人だけがわかる境地に達して、お互いにニヤッ…というのも、「ドSの散々に応えた生贄誕生!」のようにしか見えず、感動にはほど遠い。まあ、狂気へ向かうサイコスリラー的に楽しむのだと言われれば、そうなのかもしれないけど。
でも、菊地先生も必ず「バードマン」を観てくれというのとセットで、この作品を評されているように、この「セッション」を観ておくと、いかに「バードマン」が素晴らしいかが、より際立つ。
なので、なんだかんだ言いつつも、これを映画館に観に行くというイベントとしては、最大限に楽しめてはいるのでした。

セッション [国内盤HQCD仕様]

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