「春樹的クワイエット・ライフ。」

パン屋を襲う

パン屋を襲う

祖母の他界を知って、急遽鹿児島に帰省したのが先週。
もう東京に戻って来て、日常生活に切り替わっているのに、なぜかいろいろ引きずってしまっている。
祖母については、長生きもされたし大往生という印象なので、大きなショックは受けてはいない。
しかし、近しい人で大病を患っていたり、アルコールで身体を壊している人がいて、前回会った時とは様子が大きく変わったのを目の当たりにして、かなり動揺した。
葬儀等は問題なく無事に終わり、さらにもう一泊して、自分のペースで動ける時間を作れたので、急遽帰省したわりには、久しぶりの鹿児島を満喫して帰ってこれてよかったと思う。
久しぶりに何人かの友人と会ったわけだが、そこで「誰がどうしたこうした、あいつは今こうしてこうなってる」という話を聞いて、楽しい話もあったが、やっぱりこの年齢になってくると、「みんな難儀やなあ…」という感想の方が大きかった。
街自体には、東京と同じチェーン店も多く進出し、ネットも行き届いている今となっては、地方も東京とあんまり変わらないんだという印象も持つ。
しかしやっぱり、ちょっと上から目線のような言い方になってしまうが、「地方都市の疲弊」というものが現実にはあるということを実感した。
個人個人はいろんな状況にあって、それぞれなんだとは思うが、皆「なぜそんなに業が深いのか?」と思ってしまうほど、様々なトラブルを抱えているようだ。
酒で身を滅ぼしかけたり、ギャンブルで借金を抱えたり、女と付き合ったり別れたりで、ほんとにみんなしんどい思いをしているようだ。
自分からしてみれば、「なぜそこまで…」と思うような事態もある。
娯楽が少ないから、カラオケとパチンコぐらいしかないから…とか、仕事がないし賃金安いから、安酒でも呷ってないとやってられないから…とか、それだけではないような気がする。なんかもっと根深いというか。
自分は今東京で、子どももいないから、わりと好き勝手やらしてもらえてる。仕事は最低限やって、残りの時間は全部自分の趣味に費やすという生活をしている。
しかし、元々は自分も「あそこの出」なわけで、都会生活に慣れたとはいっても、元々は鹿児島出身の、田舎から上京した人なわけで、地元にいる友人達の気持ちもわかるし、そもそも自分が「そうなっていたかもしれなかった」わけで、やっぱり他人事として片付けられない。
…そんなモヤモヤした気持ちがいまだに心の中に淀んでいて、さっといつもの日常、マイペースな自分の生活に戻れると思っていたら、「意外に向こうに引っ張られてんなあ…」と自分でも意外なほど。
だが、良くも悪くも自分は薄情な方なので、ドライというか…いや、そういう自分でありたいだけなのかもしれないが。
自分の理想としている生活は、村上春樹的というか、あの作品世界での「孤独だが自分なりの規律を守っていれば、それで十分なライフスタイル」というのに憧れがあって、たかだか小説を読んだから…とはいっても、もうそれで25年近くやってきているわけだから、今さらなかなか変えられないところもある。
そのペースに戻すには…まずは休日の朝にひとりでプールに行って泳ぐとこから始めよう!と思って、実際に近くの区民プールに行って、しばらく泳いで帰って来たら、ものの見事にさっぱりした気分になった。
ほんと、「やれやれ。」といった感じ。
淡々と日々過ごしたいと思う一方で、「そんなわけにはいかないだろ。誰しも情に流されたり、重荷を抱えたりして、無様にもがくこともあるだろ。人間だもの。」という声が、内から外から時折聞こえてきて、自分の「春樹的クワイエット・ライフ」のペースを乱そうとする。
それにどこまで抗っていけるだろうか。
「ハートに火をつけて」とか歌っていた勢いまかせの時代じゃもうないんだ。これ以上、欲望をかき立ててくれるなよ。
Radioheadの「 No Surprises」が頭の中に鳴り響く。
もう驚きはいらないんだ。