「戦前と戦後」

戦前と戦後

戦前と戦後


発売を心待ちにしていた菊地先生の最新作だったが、手元に届くまでにゆうパックの不手際があり時間がかかった。
まさに待望の、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール「戦前と戦後」。
このオルケスタ名義でのアルバムとしては4作目にして、TABOOレーベルからの第一弾でもある。
唯一無二のサウンドを鳴らす、超混血系オルケスタの新作は、全11曲中10曲が菊地先生自らがヴォーカルをとり、ソングブックというかたちになったことは、大きな驚きをもって迎えられた。
常に新しい音楽を追求する姿勢と、時代の空気を鋭く察知する感覚を、その都度作品に反映させてきた菊地先生が、音楽産業の現状と自身の立ち位置をちょっとだけ考慮して、今ドロップすべき一枚として作ったこのアルバム。
実は最大の目的であったであろう、10年続いたバンドをフレッシュに保つという効果も確実に及ぼし、より幅広いリスナー層に受け入れられる名盤になったと思う。
破滅に向かって加速しているのではないかという現状を受け入れるのは苦しく、それを止めることのできない無力感は日常化して麻痺しかけているが、その慢性化した絶望の中でも、ひとりひとりは毎日泣き、笑い、人生を謳歌している。そこで癒されたり励まされたりするものとして、音楽はますます必要とされているのだが、個人的にも今聞きたい音楽は、享楽的な一過性のダンスミュージックでも、怒りを増幅させるアジテートなロックでも、ましてや「みんなでひとつになろう」的なガンバレ・ポップスではなかった。
「夢を見た全部は叶いっこない。…だけど、しあわせは別。」
と、戦前の昭和歌謡のようなメロディーで朗らかに歌われるのを聞いて、こんなにグッとくるのはなぜなのだろう。
そしてこの曲は単なるノスタルジーではなく、同時に「僕が守ってあげるからエゴサーチはほどほどにね。」「南の島に行こう。Wi-Fi無くても気絶しないでね。」と、ユーモラスに現代社会の病理を皮肉ってもいる。
このエッジーなバランス感覚が菊地先生の真骨頂だと思う。

こんなアルバムのタイトル曲を含む作品は、聞きやすくもあるけれど、実は高いリテラシーを要求する挑戦的なアルバムでもある。
しかし、よく誤解されることだが、菊地先生は、そのインテリジェンスの高さと、キザだと思われがちなスタイリッシュさから、技術の高さや言葉の難解さ、ましてや自己顕示欲をこれ見よがしに作品に投影しているナルシストでは、決してない。
一人でも多くの人が、ポリリズムを身体で感じ取ることが出来たら世界のあらゆるジャンルの曲で踊れるようになる、曲の構造をちょっとでも理解したら古いレコードも最新の音源も分け隔てなく楽しめるようになる、という思いを信念として、それを伝えるのが使命と自らに課す…実は音楽に対する献身的なまでの愛の為せる業なのだと思う。
それを照れ隠しでジョークで包み隠そうとするから、捉えどころのない人として怪しまれていたりする。
狙ったわけでもないのに「あの話題の人物の新作?」と間違われそうな、長髪グラサンにヒゲのポートレイトがジャケットになってしまったことを、誰よりも本人が一番楽しんでいる。
このアルバムを聞いて、個人的には「あ〜…やっぱりこの人を追っかけていれば、一生退屈することはないわ〜。」という思いをさらに強くした。