「TABOOレーベル誕生秘話。」

「粋な夜電波」第362回放送は、5/13のTABOOレーベルのフェス「GREAT HOLIDAY」の特集。
「TABOO」レーベルが立ち上げられたいきさつ、スパンクハッピー再始動に関する情報が語られたトークの一部を文字起こししてみました。

MY LOVE,WITH MY SHORT HAIR

MY LOVE,WITH MY SHORT HAIR

ま、そもそも…そもそもの話、ちょっとしましょうか。
えっとね〜…こんな話、今日しかしないと思うんで、そもそもしますけど。
ワタシのことを、自分でも名乗ってますけど「ジャズミュージシャン」として、「ちょっと難しげな…ね、普通の4ビート・スタンダードを演る、オーセンティックなJAZZではない、毛色の変わった…しかしJAZZを演るサキソフォン奏者」として認識されているという方もたくさんいると思うんですよ。
で、その活動の礎というか、基道としてずっとあったのは、私ずっとイーストワークスエンターテインメントさん…eweって会社があって、すごいたくさん日本のジャズ…インディージャズレーベルとしては最大にして、今はもう無くなったんですけど、無くなった今でもその功績は…別にアタシがいたからというのを除いても、他のアーティストの方を入れても、屈指のものが…澤野工房さんなんかと並んでね、屈指のものがあると思うんですけども。
そこにアタシ…10年ぐらいかなぁ…10年以上いたね〜…いまして。
その前はその会社にはお世話になってなくて、最初期のそれこそSPANK HAPPYですよ…SPANK HAPPYがさ、ど…どこだったっけな、レーベル?…忘れちゃった(笑)。キングレコードだ。キングレコードのベルウッドから最初出て。それからキング本社に移って…っていうのがSPANK HAPPYね。
そいでP-VINEっていうところから、初期のDC/PRG…当時DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENっつってましたけど…が出てた。「デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンとスパンク・ハッピーの人」だったの、ワタシは。
で、その時代が終わって、「ジャズに戻りますよ。」と。「ジャズをレコンキスタするんだ!」ということで、イーストワークスさんに入って、そいで「DEGUSTATION A JAZZ」「南米のエリザベス・テイラー」、ダブ・セクステット、ペペ・トルメント・アスカラール…という感じで、ジャズ活動に専念してたのね。
ほんで、今ワタシと一緒に「ビュロー菊地」やってる、ワタシの業務上の相方である長沼なんかは…一番最初はね、そのイーストワークスの社員さんだったんですよ。
そいで、いろんな方のマネージメントをやってらして、ちょうどワタシが入ってきたっつーんで、ワタシの担当になったんですよね。
それから二人三脚でずっと仕事してきて、ほいでイーストワークスさんが…ま、ね?(笑)…大変残念ながら、こういう時代ですから…経営難というか、クローズするに際して、しょうがないから二人で独立したんですよね。
で、二人で独立して、「さ、どうしようかな。」っつって、「自分たちでレーベルでもやりますか。今、別に…そんなもん…プレイヤーもミュージシャンもスタジオ関係者も、いっぱい知ってるわけだから。やりましょうよ。」ってことで、それで出たのが、例えば「TARADO」ですよ。菱田さんですよ。キラースメルズですよね。今やこの番組で名前言うのも懐かしいですけどね。
すっかり今、真人間となって面白味が消えてしまった(笑)…酒もやめた…酒と体調不良が完全に無くなった代わりに、面白さも消えてしまった菱田さんですけども。今、ほんとにいい人としてね、ライブとかもよく来てくださってますけど。まあ、その菱田さんのキラースメルズですよね。
あと、ジャズドミュニスターズの1枚目ですよ。結構売り上げたんですよね。
で、「あ、これいいね。」と思って(笑)。「インディーレーベルって、やると…タレントがいいとウハウハだね。」みたいな感じで進んでたんですけど(笑)。
さすがにね、ペペ・トルメント・アスカラールってのは、弦楽四重奏団が一個入ってて、ハープがいて、パーカッションが2人いて、ベースとピアノがいて、ワタシもいますんで。「ちょっとマネージするのがギリだな。」って話になってた頃に、SONYさんのほうから、ペペ・トルメント・アスカラールのものすごいファンの…ディレクターなのかな?…プロデューサーなのかな?…ちょっと肩書き忘れちゃいましたけど。
ま、名前出しちゃっていいと思いますけど、青木さんっていうね…今は勇退されて御自分でレーベルやってますけど。
長きに渡って、ザ・スクエアってありますよね。伊東たけしさん…ワタシのサックスの先生ですよ!…伊東たけしさんは。これはネタでも何でもなくて、ワタシのサックスの先生は伊東たけしさんなんだけど。
伊東先生(笑)…伊東先生に何十年かぶりでね、青木さんが引退するってパーティーがあって、もう…ほんと何十年かぶりで会ったんだよね。
そして「あ、どうも先生。お世話になってます。」っつったら…もう伊東たけしさんはワタシの上を行く、上の上の上を行く遊び人ですからね…もう御年幾つだかわかんない…70ぐらいじゃないかな?と思うんですけど(笑)…そんなにいってねえか。
もう開口一番ね、いきなりハグして「がんばってんね〜。」っつって。で、「俺も遊んでま〜す!」っつってましたからね(笑)。
全然ダメだ、この人!って思って。そういえば授業で一回もサックス習った覚えがないな…ってね。昨日どこで遊んでた話をね、3年間聞いただけだった!…っていう記憶がね、走馬灯のようによみがえりましたけども(笑)。
こういう話が面白いので困っちゃいますよね、ラジオってのはね。全然本筋と関係ないんですけど。
その伊東たけしさんといえば、最初ザ・スクエア…それからT-SQUARE、今T-SQUAREかな?…で、青木さんっていうT-SQUAREのマネージャーからプロデューサーになった方がSONYにいらして、その方がね…なんか知んないけど、ペペ・トルメント・アスカラールのむっちゃくちゃファンだったんですよ。
で、「行き場が無いんだったら、うちのレーベル貸しましょう。」って言ってくださったの。
で、T-SQUAREさんがいたレーベルは「Village」ってレーベル。ま、「ヴィラージュ」ですね、フランス語で言うとね。…わざわざフランス語で言い直す必要無いですけど(笑)。「村」ですね、「ヴィレッジ」っていうレーベルがあって、その中にT-SQUAREさんがいたの。
ほいで、その青木さんが「じゃあ、うちのヴィレッジの中に、菊地さんのレーベル作っちゃおう。ペペ・トルメント・アスカラール出すために。」っつって。
それで「戦前と戦後」っていうアルバムを出すために「TABOO」ってのを最初作ったのね。
「さて、出ちゃったけど…どうしようか。」ってなって。ここら辺、ワタシの記憶曖昧ですから、事実関係デタラメになってると思うんですけど(笑)。
「さあ、出ちゃったけど、どうしよう。」ってなった時に、「菊地さんってプロデュースもできて、若いすごい有能なバンドとかもたくさん…」
…もうワタシすでにその時〈けもの〉の1枚目、[ものんくる]の1枚目、小田朋美さんの「シャーマン狩り」のプロデュース終わってたとこなんで。他社ですけど。
なんで、「そのままうちでやりましょうよ、みんな。」ってことになって、そんで「TABOO」になったの。
「TABOO」は最初ワタシのペペ・トルメント・アスカラール出すためのレーベルだったんですけど、拡大路線になったんですね。結局ね。
そして、まあ…そうですね、1年目…2014年になりますけど「戦前と戦後」。と同時にベスト盤「夜の歴史」…ペペ・トルメント・アスカラール。
あとね、ちょっと記憶が定かじゃないから、ちょっと…ま、こういう事詳しい人は詳しいですから、後で直していただいて。直していただいたところで何だ?って話ですけど(笑)。
1年目はそれだけかな?…2年目に[ものんくる]のメジャー移籍第一作の「南へ」だ出て、あとは菊地凛子さんの…さっきのね、「戒厳令」が出て。
そいで次の年がdCprGの…今のとこ最新盤ですね、「フランツ・カフカ南アメリカ」ってのが出て。それから大西順子さんの復帰作ですね、「Tea TImes」が出て、ガンダムが出る年ですかね。16年ってのは。ここら辺、14年・15年・16年ってのは記憶ぐしゃぐしゃになってるんで。
まだまだ、なんか大物感がある世界で、若手をプロデュースしてる感じじゃないですよね。
17年から〈けもの〉、[ものんくる]…あとガンダムの2枚目もありますけど。やっとこさ、若いアーティストをプロデュースしてるって体になってきて。で、18年が市川愛さん。この後デビューを待っているのがオーニソロジー…今日かけないけどね…オーニソロジー、これ当日出ます。
そして、いろんな流れで…全然やる気なかったんですけど、11年間休んでて、「もう無理だろう。」って思ってたSPANK HAPPYが復活…というような流れになっておりまして。
SPANK HAPPYですが、これも…来週もお話しますけど、まずですね…SPANK HAPPYは11年間休んでたんです、とにかく。で、再始動することになりました。
ずーっと相方の情報を…当日まで伏せてますけど、今日は名前だけ発表しますね(笑)。名前って…芸名なんだけど。
SPANK HAPPYでのワタシ…は、菊地成孔にあらず。なので、パネル作っちゃった人は…『SPANK HAPPY 菊地さん』とかって書いちゃった人は、書き直してくださいね。白でこう…消して。
SPANK HAPPYでのワタシは『BOSS THE NK』っていう名前になります。まあ『BOSS』だけでいいです。缶コーヒーと同じ名前ですね。「ボス」!ってことで、「ボス・ザ・エヌケー」。
そして相方…ヴォーカリストの名前は『OD(オーディー)』です。
『OD』って、ラッパーでもいっぱいいるのね。「オーヴァードーズ」の略だから。『OD』って名前の人、山ほどいるんですけど、女子で『OD』って人は少ないと思いますね。
「『オーディー』ってことは?」…とかね、下手な詮索しないようにしてくださいね(笑)。すぐわかっちゃうんで。『OD』は『OD』なんで…ね。
だから、パネル作ってる方は『OD!』『OD、おめでとう!』『OD、デビュー!』みたいな感じで。
でですね…『BOSS』と『OD』…「ボス・ザ・エヌケー」と「オーディー」の二人組です、スパンクハッピーは。
2期までのSPANK HAPPYと違って、『OD』は…なにせ作詞作曲編曲打ち込みができるということで、下手するとワタシより音楽的な能力があるということで、ワタシが楽隠居できる…というね。やっぱ55歳のSPANK HAPPYにふさわしいっていうかね(笑)。
11年前の岩澤瞳さんは…ほんとにダンスもできない…歌を歌うことしかできない人でしたからね。あと、可愛くお化粧して…ま、完全なマネキンっていうかお人形さんですよ。だから全部ワタシが他やってたのね。
それが、ちょっとバンドっぽく共同作業になっていくのが、3期にして「最終スパンクハッピー」と呼んでますけど。
そして今から…さすがに全曲はね、都合により…久しぶりの「残酷、残酷〜。」になっちゃうんですけど、途中で切っちゃいますけどね。
デビュー曲ですよね。これ、のちに配信されますんで。
アー写もジャケットも撮りました。えとね…ダンスレッスンもしてみました。『OD』が踊れる人かどうか全然わかんないから。ワタシは踊れる人なんですよ。自慢じゃないですけど。踊れる人なんで、振り付けもできる人なの。
ただ『OD』が踊れるかどうか全く未知数だったんで。見たことないから、全然。だからやれるかやれないかはスタジオ入ってみないとわかんない。
で、入ってみたら、そこそこ踊れたんですね。少なくとも岩澤さんよりは踊れるんで。今度のSPANK HAPPYは、ちょっとした…ま、軽〜くですけど…ヘタウマのダンスユニットの側面もありますので。SPANK HAPPYの時間は、もうこっち見ないで踊りまくっててください。
はい。デビュー曲がですね、三越伊勢丹さん…「いきなりキタね〜!」って話ですけど、三越伊勢丹さんの「グローバル・グリーン キャンペーン」ってのがあって、5月14日から全曲が公開されます。
ワタシと『OD』の初めてのツーショットの動画も、そこで観れます。
でも、5月14日って…「HOLIDAY」の翌日ですね(笑)。「HOLIDAY」の翌日に全貌がはっきりするわけですけど。
とにかく1曲目の曲は…再々デビュー曲は、三越伊勢丹さんのキャンペーンソングですね。5月のキャンペーンソングです。
「夏の天才」っていう曲です。
ま、ワタシと『OD』で作ってみました…三越伊勢丹さんの初夏の感じ、ということで…途中で切っちゃいますよ…「夏の天才」という曲をお聞きください。
この曲は、当日も演奏しまーす。