「『今ジャズ』解説・補足」

「粋な夜電波」第168回放送はフリースタイル。
先週の「ジャズ・アティテュード」で、「今ジャズ」のリズムについて解説をされたところ、反響が大きかったようで、今週もその解説の続きを話されました。
しかし、ちょっと補足というには、あまりに濃い内容で、まさに現在のジャズシーンについて的確に批評されていたように思えます。
いちいち目から鱗、そして納得の「『今ジャズ』解説」の第二弾、そのトークの一部を文字起こししてみました。

SOLO

SOLO

先週「ジャズ・アティテュード」を放送しまして。
番組にももちろんメールきているんですけども、なんと最近は「ダイレクトに言ってやる!」っちゅうんで、番組の感想を…今までそういうことはなかったんですけど、ワタシのファンメール…ワタシは一応こういう世の中ですから、そんなに頻繁に更新しませんけど、公式WEBサイトみたいなのがあって、ブログみたいなのもやってんですよね。後は、メールマガジンってのもやってるんですけど、そのブログからMail Meで、なんでしょう?…ファンメール宛ってのがあって、そこにきますね!…メールが。
で、まあ…もうすごくて。「今ジャズ」に関してはムーブメントでかいなと思いました。
で、次の「ジャズ・アティテュード」まで待っちゃうとね、旬過ぎちゃいますから。先週の続きで、もうピタッとくっ付けるように話しちゃいますけど。
とにかくね…今からちょっとお父様方を…ちょっと一瞬ぶっち切っちゃいますね。あの…ごめんなさいね。ちょっとコアなジャズファン向けに、3分間ぐらいください。
あの…一番多かったのが(笑)…ま、「そんな事言うなよ。察してくれよ〜。」って話なんですけど。
ヴィジェイ・アイヤーの紹介はいいのか?」っていうのが、すごい多かったんですよ(笑)。もっともな意見なんですけどね。
なんか「『ソロは無くなった。』ってオマエ言ったけど、ヴィジェイ・アイヤーとかがいるじゃないか!」っていう意見は出てます。
ヴィジェイ・アイヤーってのはね、インド人…っていうか、インド出身の…ま、インド系っていうか…ま、インド人だと思ってていいですね。ヴィジェイ・アイヤー…ピアニストなんですけど、さすがインドはですね、数字の「0」を生んだ国と言われてて、ま…インド音楽とアフリカ音楽ってのは作りが正反対なんですけど。ま、そういった話すると長くなるんで端折りますけどね。
とにかく、リズムにすごい変わったことするピアニストがいて、大人気なんですよ。
ヴィジェイ・アイヤー、ちょっと聞いてみますね。
あの…ヴィジェイ・アイヤーのリズムがいかに変わってるかってことを、有名な曲であればあるほど解るっちゅうことで、マイケル・ジャクソンの「Human Nature」をヴィジェイ・アイヤーがカバーしてますんで、それをちょっと聞いてみてください。
「ヴィジェイ・アイヤーって最近、名前ばっかり聞くんだけど、どんなことやる人?」って方にも、これはお薦めです。全部かけると長いですし、イントロカットして、曲に入る直前から聞きますね。
有名な「Human Nature」です。マイルスもカバーしてるアレですね。
(曲)

…はいはいはい、ま、有名な曲がこう…脱臼してる…脱臼してるっていうか、ちょっとリズムが変わってるわけですよね。
で、これどういうふうになってるかっていうと、「5+8」っていうね。
「12345、12345678。12345、12345678。12345、12345678。…」っていうように…。「12345、12345678。……」ってなってるんですよね。「5+8、5+8…」で。
ま…なんか、さながらインドだけにっていうわけじゃないですけど。タブラの演奏みたいな感じですよね。
インド音楽ってこういうふうに「積分」…ていうか「積んでいく」んですけど。アフリカの音楽みたいに1拍を割ったりしないで、どんどんどんどん積み上げていくんですが。
これ「5+8」が交互にくるんですよ。これ前回紹介した「Now vs Now」もそうでしたけど、あれは「4:9」でしたけど。
「偶数と奇数が順番に交互にくるリズム」ってのが今、ちょっと流行ってるんですよね。
その人たちはそれでアドリブとるっていう…ふうな形になってて、これはドラムンベース系の、ドラムを聞かせて上のアドリブがなくてフワーッとしている、ロバート・グラスパーから始まるアメリカ系のものとは、ちょっと違うシーンなんですね。
で、これをね、まったく「今ジャズ」として別に分けるか、一緒に囲っちゃうかってのは、ほんとに…ま、音楽がカテゴライズされる時にいつも起こる議論なんですけど。
まあ別にヴィジェイ・アイヤーだって今の人だし。ついこないだ来ましたからね、日本に。ブルーノートか?…来ましたから。…なんで、ヴィジェイ・アイヤーも入れちゃっていいと思うんですけど。
いずれにせよ…ね、リズムの事が問題なんですよ。
前回紹介した人々もそうだし、その中にはヴィジェイ・アイヤー系もいますよね。前回紹介したミナス派の連中もそうですけど。
「偶数と奇数が交互にくる」っていう形…ね。で、「5+8」ってことは、「わー、大変な変拍子!」って思うかもしれないですけど、「13」ですから、倍にすると「6+0.5」みたいな…つまり、6拍ってことは3拍子ですよね。3拍子に1個脱臼してるだけ…とも言えるわけで。
「5+8、5+8…」って数えてると、そのうちそれが「123456、0.5、123456、0.5…」っていうふうになったりして、1小節の単位がちゃんととれるようになってくんですよね。その感覚も非常に新しいんですよ。
要するに「リズムしかない。」ってことについては変わりないの。
20世紀は「和声とメロディと音色とか…そういうの全部やっちゃった」んですよね。まあ…「全部やっちゃった」っていうか、「やっちゃった」かのように今見えてるんですよね。ほんとは「やっちゃってない」んですけど。無限なんですけど。
ただ、今のトレンドとして、20世紀がちょっとリズムの追求ってのがね、さんざん「されてきた」ように見えて、ちょうど今…「されて」もきてんです、もちろん…リズムがどんどん進化してきた歴史でもあるんですけど、ちょうど今、その成長期が…「和声進行、メロディ、いろんなコンセプト…」の中で、「リズムっていう子」だけの成長期が今きてるんで(笑)。
それで世界的に同時多発的に、東海岸だけじゃなくて、ヨーロッパや…この番組でも何回か聞いたヴァルダン・オブセピアンとかですね、もうちょっと東欧の方とか、中南米
ヴァルダン・オブセピアンとタチアナ・パーハのデュエット聞きましたよね?…あれも拍子が…
この「偶数と奇数が交互にくる」のをね、何て呼ぶかっていうのも、まだ決まってないんですよね。「偶数と奇数が交互にくる」ことは、英語で直訳すれば「alternate」って言うんですけど。「オルタード」ね。「アルタネート」ってのが「交互に別のものがくる」って意味なんだけど。
ただ、ジャズファンはご存知…もう既に「アルタネート」とか「オルタード」とかっていう言葉は、既にジャズ語の中に…ジャズのテクニカルタームの中にあるので、「オルタード・リズム」「アルタネート・リズム」って言われても、意味が逆に分かりづらくなっちゃうんですよね。
だから「交互にくるリズム」ってのは新しい言葉作んないといけないと思うんですけど(笑)。
(曲)

これ、ヴァルダン・オブセピアンとタチアナ・パーハですけど。
これは、もうバルト寄りの東欧の人とブラジルの人ですから、距離的にはすごい離れてるんだけど。
ま、こういうものも含めて、リズムに興味がいってるのがそうなんだって話なんですよね。
で、ヴィジェイ・アイヤーを紹介しないのか?…あの…「今ジャズ」の話すると、ジャズファンからの意見と、クラブミュージックのプロパーの意見と、どっちもこう…聖徳太子みたいに二股聞きしないといけなくなる現状なんで。そこが批評が難しくなっちゃってるんですね、紹介とか。
どっちにもいい評論家の先生方いるんで、クラブミュージックだったら、まあそんな…名前出すのもあれですけども、原雅明さんとか…ほんと素晴らしい、ワタシ尊敬してますけど、ただ…イケメンで背が高いので「いつかぶっころしてやろう!」と思ってますけども(笑)…それは冗談ですけど。ま、背が高い男にね、ちょっとあれなんですが。
まあ、ほんとに信用に足る素晴らしい評論家の方で…で、まあクラブミュージックには精通してるんだけど、ただ原さんが「アート・テイタムからずーっとジャズを聞いて評論してた」って方じゃないですし、逆にジャズの評論家の先生方は「トニー・ウィリアムスからジャック・ディジョネットから、その前にすでにマックス・ローチからですね、リズムが変貌してって、その果てにクリス・デイヴがあるんだ。」っていうふうに話したいんだけど、「したいんだけど」っていうか「できる」んだけど、ジャズの先生方はクラブミュージックに関しては、「付け焼き刃」もしくは「知ったかぶり」するしかないっていう(笑)…状況になっちゃってるんで、こう…うまくブリッヂオーバーする人が…ま、いないんですよね。
だから「オマエがやれよ!」って話なんですけど、ただまあ…この番組、1時間のAM番組でそんなハードコアにジャズの講義するのもなんですから。出来て先週ぐらいの「お父様にも分かる」ぐらいの話になっちゃうんで、突っ込んだ話はできないんですけど。
いずれにせよ、そういうクラブミュージックには本当に精通してる人たちが見る「今ジャズ」ってのと、ジャズ評論家が見る「今ジャズ」ってのがあって、これは世代的に分かれちゃってますから。いつの世もあることですけど、ジャズ評論家の先生方は若づくりしようとしつつも、「若造」って思ってて、クラブミュージック寄りの人は「老害・ジジイ」とか思ってるんですよね(笑)。これをこう…うまくブリッヂオーバーするべきなんですけどね。
クラブ側からはね、「ブロークンビーツに関してはどうなんですか? 菊地さん。」みたいなもいっぱいきたんですけど。
ブロークンビーツの話してると、すごいキリないんで、とにかく質問がきた人に直接暗号に答えるようにお答えしますけど、それは当然ブロークンビーツもチェックしてますよ。そんな…言うまでもないですよ。
ブロークンビーツが一番イケてた頃にDCPRGやってた人間ですからね、ワタシね。ま、今もやってますけど。
ただブロークンビーツは、もしドラムで影響受けて手仕事で真似ようとした時にね、どうしても前回やったようなMIDIのクォンタイズのかけ別みたいなことに比べると、ブロークンビーツはね…ほんとにそっくりモノマネみたいな…大道芸みたいなことになってしまいがちで、ちょっとこう…品に欠けるんですよね。音楽性っていうか芸術性に。
なので…あ、「ブロークンビーツが」じゃないですよ。「ブロークンビーツを手仕事で真似ようとした場合」ね。ちょっと大道芸めくので。で、あんまり…ワタシが見る限りですけど、「直接ブロークンビーツに影響を受けたドラマー」って言い方はしない方が現実的じゃないかな、とは思ってますね。
ま、そもそも手仕事性が強いんですよ、ジャズは。クラシックと並ぶジャンルですから。手仕事のジャンルなんで。
あの…ロックとかは手仕事…ま、ロックだって手仕事ですよ、ギター「ジャガジャーン!」って手仕事ですけど、すごいテクニカルな音楽じゃないじゃないですか。それよりこう…アイディアがあったり、新しい道具が出てきたらバンバン使うってのがロックですよね。ロックやポップスのいいところですよね。
だけど、ジャズやクラシックは手仕事のスキルが伸び過ぎちゃってるんで。逆に言うと、前回言ったような「テクノロジーとの追いかけ合い」っていう面白さに関しては、だいぶ後れをとってる音楽で。後れをとってるってことが一概に悪いとは言いませんけど。
ジャズの発達は、周りにあるジャンルの影響やテクノロジーの発達の影響を受けずに、ある意味こう…鎖国して(笑)、「ジャズのプレイ」っていうプレイヤビリティの中で、スイングからビーバップへ…これはもう大革命ですし、それからモードへ…これも大革命ですし、それからフリージャズへ…これは大革命ですし、…ってこう…何にもテクノロジーの影響を受けずに、手仕事と音楽理論だけで進めてきたんですよね。
で、まあ…それが、先週から聞いてた方だと、「あ!それが初めて『今ジャズ』で、リズムボックスの影響を受けたのね。」っていう結論になると分かりやすいんですけど、実際はね、ワンクッションあるんですよ。
実際は…これ先週言えなかったことなんですけど、「言えなかったこと」っていうか、収録では言ったんですけど、長過ぎたんでカットになったことなんですけど(笑)。まあ…それは別に文句があるとかじゃなくて、長過ぎたからしょうがないんだけど。
そもそも、スティーヴ・ガッド…これはお父様方にも通じると思いますんで、説明なしで言いますけどね。スティーヴ・ガッドを始めとしたフュージョンのドラマー達も、一番最初は「リズムボックスに似てる」って言われたの。
まず音色が変わったの。録り音が変わったわけ。
キックの音…ジャズの伝統的なキックの音ってのは「デン・デン・デーン」って、ものすごい残響があったんですけど、フュージョンからは、その前にあったポップスやロック…何よりもディスコミュージックの影響で、「デッ!」って止まるようになったんですね。
で、タムなんかは遠くにあって「テーン!」って、なんか奥の方に太鼓があるような感じが、目の前に「デイン!」ってくるようになって、録り音も変わるし、それでプレイも変わるし。
で、何に聞こえるかっていうと、結局TRとかのリズムボックスに聞こえたっていう。ガッドもリズムボックスに聞こえて、「機械じゃないか?」って言われたわけですよね。
だから、これはあんまり指摘されない…っていうか、全然指摘されないことですけど、「今ジャズ」は「第二次ドラムンベース」であると同時に「第三次フュージョンとも言えるんですよね。
フュージョンは…そうですね、これは特に意味もなく…なんとなく持って来たものですけど、これなんかだって…最初聞いた人、リズムボックスだと思った人多いですよ。
(曲)

これ渡辺香津美さんの「COKUMO ISLAND」っていう1980年ですから、フュージョンのブームの全盛期ですよね。黎明期じゃあなくて全盛期のものですね。
ベースがトニー・レヴィン、ドラムスは最盛期のウェザー・リポートを支えたピーター・アースキンというリズム隊ですけども。
「こんなの打ち込みでしょ?」って思ってた地方の高校生とか、いっぱいいたと思いますよね。
まだMIDIこそ出てませんけど。MIDIは82年ですから。まだMIDI自体はこの世にありませんけど、リズムマシンってのはもうあったんで。「こんなん人間の力じゃ無理だよ。」って。で、「音色もドラムじゃないでしょ、これ。」っていうね。「機械でしょ?」っていう。
ま、今聞くと普通にフュージョンなんですけどね(笑)。
だから…ガッドなどに代表される人たち…いわゆるフュージョン・ドラマーというふうになっていく人たち、当時はスタジオミュージシャンがジャズプレイヤーになるってことが、すごいセンセーショナルに喧伝されて、「果たしてそういうものはジャズなのか?」っていう…。
今ね、「『今ジャズ』はジャズかどうか?」って議論は、ジャズ界自体が沈滞してるんで(笑)、議論ったって大した大きさの議論じゃないんですけど。70年代初中期の「フュージョンはジャズかどうか?」って議論を、「jazzLife」や…日本だけでもですよ、「ジャズライフ」「スイングジャーナル」が、どのぐらい大ゲンカになって、ものすごい白熱した…本気の議論になったかってのは、もう…水位とかね、瞬間最大風速は、今と比べ物にならないぐらい問題になりましたから。だからある意味今の方が弱火なんですけどね。
でも、起こってる現象は全く同じで。ドラムがリズムボックスからの影響を受けてるし、それはプレイだけじゃなくて録り音もそうなったと。
そいで「果たしてジャズかどうか?」っていうぐらい、アイデンティティ揺るがすぐらいの変革が根底から起こってしまったっていう意味合いでは、似てますね、すごくね。
だから「今ジャズ」はフュージョンだとも言えます。で、フュージョンだってことは、さらに言うと、フュージョンってことは、また拝外思想に一回戻るんですよね。
拝外思想ってのは「アメリカ最高!」「やっぱニューヨーク、現場行かないとね!」っていう感じが、久しぶりに戻ってきたんですよ。「今ジャズ」がいい気分になるのは、そこもあるんですよね。
音楽における拝外思想ってのは、一面的に悪とも言えず…インターナショナルになって全部が平板になってもいいですよ。クラブカルチャーになってDJカルチャーになって、インターナショナルになったんですよ。もうインドのDJ、パキスタンのDJ、東南アジアのDJ、ベルリンのDJ、東京のDJ、ロサンゼルスのDJが、同じもんかけてる。同じ考え方でやってるっていう…これがインターネット時代の音楽、つまりインターナショナルなもんだったんですけど。
「でもやっぱり本場NYは違うよね!」って感じが、逆に足んなくなってくるのね。
で、あれはあれで、前世紀の遺物と言ってしまうには、美味し過ぎるんですよね。
そうすっと、NYに一流プレイヤーが何人かいて…だからつまり、当時「日本のスティーヴ・ガッド村上ポンタ秀一」とかね、さらにもっと前には拝外思想もっと元気でしたから、「日本のコルトレーン、誰それ」とか、いろいろあったわけですよ。そういうのもうナンセンスになってから幾星霜ですよね。
今また久しぶりに…だからこれから多分出てくると思いますよ。「日本の…」もういるかもしんない、ワタシが不勉強で知らないだけで、「この人はもう『日本のクリス・デイヴ』なんだよね。」「この人は『日本のリチャード・スペイヴン』なんだよ。」って。
「まだそんなこと起こってんの?」って思うかもしれないですけど、これ実は音楽やるうえでの楽しみのひとつなんですよね。ちょっとマゾくさい楽しみなんですけど(笑)。
でも醍醐味の一個ではあり、懐かしくいい気分にさせることではあったりしますよね。
現場でやってる日本人のプレイヤーにとっては屈辱的かもしれませんけど、リスナーや評論家にとっては、今言ったような面白みも無視はできないですよね。…と思いますね。
あと、さらに言うと、そういうわけで、今…さっきヴィジェイ・アイヤー聞きました、ヴァルダン・オブセピアンも聞きました…つまり、ピアノで「アルタネート・リズム」…交互に偶数と奇数がくる変拍子を…さらにその変拍子が、もろプログレみたいな「どうだ!変拍子すげえだろ!」みたいな感じじゃなくて、変拍子がちょっとつんのめった普通の拍子に、こう…何て言ったらいいんですかね…騙し絵みたいに聞こえてくってのも今の流行で。
これは全く別の潮流なんですけど、リズムでなんか新しいことやろうって意味においては同じなんですね。これ、さっき言った通りです。
で、まあ…こういった状況の中、結局追いやられてるのはサックスのスターなんですよ。今この番組のサックスのスターはジョシュア・レッドマンだと思うんですけど(笑)、それは水原希子さんに似てるっていう意味においてスターですから。ジャズ史的にはほとんど意味を持ってないですよね(笑)。
ジョシュアなんかはほんとに、NYが本場で、「NY最高だぜ。ジョシュアがジャズ界を引っ張ってるんだ!」ってことになるはずだったんだけど、ならなかった時代の人で、ほんとに素晴らしい人ですけど…なんなかったの。ムーブメントには。
だから前回話した独り立ちしちゃうタイプね。シーン牽引じゃなくて。
それいっぱいいますよ。ブラッド・メルドーとかジョシュア・レッドマンとか、ほんとに素晴らしいんですけど、ていうか…奇しくもこの二人、大親友ですけどね。二人ともシーンを動かしたっていう人じゃなくて、独り立ちして一人でウケて一人で注目されて…っていう。
言ったらね、エスペランサ・スポルディングみたいなかわい子ちゃんのスターですら、独り立ちですよね。
ただ「今ジャズ」ってのはムーブメントできてるんで。しかもクラブと関係あって、第二次ドラムンベースであると同時に、第三次フュージョンでもあるって意味において、ジャズからもクラブからも注目されてる。
そんな中、サックスが後れてるんですよね、残念ながら。
で、これはどうしてサックスが後れてるかって言うと、「『サックス・マシーン』が無かったから」なんですよ。「『セックス・マシーン』はあったんですけどね。」って言うのは、あまりにお父さん向けにしてもヒドいギャグですけど(笑)。
リズムマシンがあったおかげで、「人間と機械の腕比べ」ですよね。これはもう何て言ったらいいか…「コンピューター・チェスとチェス打ち(?)」…ああいうのも多分しのぎを削り合ってんじゃないですか?
だからそういうね、ロボット対人間の力比べっていう醍醐味が、音楽の中ではドラムを中心に起こってるんですよね。で、まあ…ピアノもちょっとはあります、まだ。だけど、サックスのソロを機械がやって、人間がやれなそうなことを機械がやってみせたから、これをサックス出来ないだろうって思ったら吹いちゃう人がいて…っていう追い掛け合いが起きてないがゆえに、今サックスソロとかトランペットソロとかが、ものすごい後退してるんですよね。
で、そのことを00年代の最初にやろうとしたミュージシャンが日本にいて、菊地成孔さんっていうんですけど(笑)。
ま、その人は何やろうとしたかっていうと、まったく関係のない伴奏の上で吹いたソロを編集で持ってきて、そうすっとリズム的にも和声的にも、バックトラックとサックスソロが無関係なのよね。で、無関係だからってデタラメ吹いちゃうってことじゃなくて、無関係なんだけど、その人のソロのパーツだけ抜くと、独立してちゃんと秩序があるんだ…っていうプレイを、コンピューターの編集によって、今度人間がそれを再生するってことを、ま…この10年間ワタシやり続けてるんですけど、全然ムーブメントきませんでしたので(笑)。
そういう意味ではワタシも完全な独り立ちタイプなのかもしれず、ジョシュアの気持ちが分かるような分からないような…といったような状況ですよね。
ま、これ以上の事はですね、ほんとにもっと然るべき場所で、ちゃんと音源聴いて解説した方が面白味も増すと思いますんで。なんかの機会があったらやってみたいと思いますけどね。
番組の方でも追っかけますが、ま…番組はエンタメですから。お父様向けに、池上彰さんと成ってですね、概要だけ説明するということを続けていこうかな、とは思いますが。はい。

Degustation a Jazz

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闘争のエチカ(上巻) “L' éthique de la lutte Un” [USB]

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※文字起こしの「NAVERまとめ」あります。