「言葉にならない、笑顔を見せてくれよ」

日テレの朝の情報番組に、なんでくるりの岸田が出演しているのか?と思って、よく見ると精神科医名越康文氏だったりする。そう勘違いしたという話をしたら、うちの相方は「むしろ精神を病んでいる人にしか見えない」などと失礼なことを言うのだった。
今や岸田繁は、そんな「医者か患者か区別がつかない」「賢人か白痴か判断がつかない」という境地の存在になっている。
そして、彼が奏でる音楽も「最先端の表現なのか、古くから歌い継がれているフォークロアなのか」「各々の個人に向けた語りかけなのか、普遍的なメッセージとして国境を越えて鳴らされるべきなのか」「シニカルなメタファーなのか、単なる思いつきの冗談なのか」…どちらかというわけではなく、そのすべてでありうるといえるようなものになっている。
くるりほど悪戦苦闘のヒストリーを持つバンドはそういないだろう。アルバム毎に編成を変え、新たなスタイルに挑み、同じ曲調の焼き直しを拒んできた。そうしたストラグルの季節を幾つも経て、このアルバムに先行して発表されたのが、ユーミンとのコラボシングルの「シャツを洗えば」であり、CM曲として耳にした「魔法のじゅうたん」だった。バンド幻想からも解き放たれ、耳馴染みのよいポップスを普通に鳴らせるようになったのか…と思った。
だが、アルバムを聴くと、今回の作品の基調となっているのは「温泉」や「東京レレレのレ」の和風なメロディ、アコースティックで温かみのある雰囲気である。「目玉のおやじ」や「麦茶」もロックバンドらしいアレンジになっているが、同様の情景を歌っているといえるだろう。日常の瑣末なことの中に喜びや希望を見い出していくポジティブなムードこそがこのアルバムで最も伝えたいことに違いない。「さよならアメリカ」だって、単純な反米、米国離れの社会的なメッセージソングではないだろう。今やどんな曲調でも受け入れてくれる聴き手を信頼しているからこそ歌えた、あくまでもパーソナルな歌詞なんだと思う。
早計に「紆余曲折を経て岸田繁も大人になり、どこか悟りをひらいたかのような境地に達したのだ」という結論に至りそうになった。…しかし、ほんわか癒されて油断してると「コンバット・ダンス」のようなエッジの利いた攻めのナンバーが耳に飛び込んでくる。さらに「犬とベイビー」「石、転がっといたらええやん」でざらついたシャウトを聞かしてくれるのだ。一枚のアルバムの中にも、この振れ幅の広さがあるから、くるりのファンはやめられないんだよね。
使う武器や手段は異なれど、くるりはあくまでロックバンドとして闘い続けている。そのことを確認できて、やはりうれしい気分になった。