「ポエトリー アグネスの詩」


イ・チャンドン監督の新作「ポエトリー アグネスの詩」を、銀座テアトルシネマに観に行ってきた。
新宿武蔵野館でも上映していたが、テアトル系列なら水曜日はサービスデーなので、初めて行った銀座テアトルシネマ。
朝一の会だが結構お客が詰めかけていた。やはり韓流好きのおばちゃんが多いか?
イ・チャンドン監督の前作「シークレット・サンシャイン」は2008年度のライムスター宇多丸のシネマランキング第一位だったことを受けて、後からDVDで観たが、決して好きな作品とは言い難いが、「宗教で果たして人は救われるか」という重いテーマに誠実に向かい合い、観る者にいろいろ考えさせる作品で、強く印象に残った。
今回の「ポエトリー〜」(原題は「시」。「詩」は韓国語でも「シ」と読むらしい。)も、孫と二人でつつましく暮らす60代の女性が、認知症だと宣告され、言葉を忘れていきつつある中で、文学講座で詩を書くことを習い、なんとか一篇の詩を創作しようと苦闘するというストーリー。その中で、心が通わない今どき若者の孫が、実は仲間数人と同級生の女の子に性的暴行を加え、自殺に追いやっていたという事件を起こしていたことを知り、苦悩する…。
…もう、どう考えても絶望的な話になるに決まっているのだが、そこにひとすじの希望の光を見いだせるかどうかということを、徹底的なリアリズムで描く作品になるにちがいないと思ったから、映画的な感動を期待してもいた。
主役のミジャを演じる女優の演技は見事だし、周囲の登場人物も自然な振る舞いで現実感がある。いたるところで韓国人らしいやりとりがあり、そこに世相に対する皮肉が込められているようで、案の定、観ていて居心地の悪い思いをする。
今回は主役も認知症を患っているので、激情を表に現すことも少なく、どこかぼーっとした表情のまま、事件に翻弄される。孫に問いただす場面も一度だけ。その孫も何も答えず、反省の色も全く見せない。被害者となった女性の母親や、加害者の仲間の親たちとも、ぶつかり合うようなこともない。
あまりに何も起こらな過ぎて、そこがリアリティがあるといえばそうなのだが、映画としてはどうなのか。わかりやすいカタルシスはない。
最終的に書き上げた一篇の詩が朗読されるところに、この作品のテーマがすべて詰まっているのかもしれないが、その詩自体をそこまで深く読み込むことはできなかった。
今回もいろいろ考えるところを残した作品で、人間ドラマとして高尚なレベルに至っているとは思うが、映画として楽しめたとはいえなかったと思う。
2度、3度と観返すと、いろいろ深いところまで理解できるような気もするが…。

シークレット・サンシャイン [DVD]

シークレット・サンシャイン [DVD]

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村