「音楽担当は方言指導も込みで。」

「粋な夜電波」第154回放送はフリースタイル。
劇中音楽のオファーを受けられなかったドラマが放送されたを観て、菊地先生が思ったこととは?
ネイティブの銚子弁も披露された、番組中のトークの一部を文字起こししてみました。

Come With Me to the Casbah

Come With Me to the Casbah

え〜、というわけでですね…そうですね。
こないだNHK観てたら、これはあの…全然…スケジュールの都合でお断りしたしたんですけど、いわゆる「受けられなかった仕事シリーズ」ってのがあって、いろいろ…まあ…「あれ、やっとけばよかったな〜。」ってのも含めて、残念ながら「時期が時期なので…。」ということで断ったものとか多いんですけど。
お葬式で会いましょう」ってドラマやってて、それはどうしてかっていうと、銚子が舞台なんですね。
で、しかもね…これはリスナーの中で何名いらっしゃるか分かりませんが、銚子の方対応になりますけど、名洗が舞台なんですよ。
名洗のね、名洗の丘の上で葬式やってる家の、ほとんどワンロケーションなの。で、そこは十分分かるところなんですね、ワタシ。
あの…ロケハンで案内したり、もし場合によってはね、途中で指怪我した人が出たら…
「菊地さん、音楽お願いします。」って言われて、ま…残念ながらスケジュールでお断りしたんですね。
…で、「あ、これだ!」って思って観てたんですよ。
で、まあ…観てたんですけど、これ…しょうがないんですけどね、別に咎めるような話じゃないんですけど、これはやっぱ「あまちゃん」が悪いんですが、あまちゃん」以降の地方でロケするローカル…何て言うんでしょうね…ああいうのね、ローカルが舞台のTVドラマってのは、やっぱり方言が出てこないと。
これはね、最近までワタシがめちゃめちゃハマってた「応答せよ1997」っていう韓国のTVドラマがあるんですけど、これもね…釜山が舞台で、釜山の90年代が描かれるんですけど、もう…ソウル弁…要するに、登場人物が「ソウル弁で喋んなや!」って、ソウルから来た子がいじめられる(笑)…釜山弁丸出しなんですね。だから…方言なんですよ。
で、ワタシが知る限り、銚子を舞台にしたTVドラマってのは、有名なものは過去二つあって。
一個がね、「港町純情シネマ」っていう…これはね、ワタシの実家の隣の映画館を舞台にした…だから非常にね、近いんですよね。なんか…率が高いんですよ、この「お葬式で会いましょう」も、「あそこ知ってるわ!」って。「誰々さんちで撮ったよね?」っていうぐらい分かりましたし。
今申し上げた「港町純情シネマ」…80年代ですけどね、えーとね…快獣ブースカだとか書いてたことで、我々の世代には有名な…ていうか、我々の世代を超えて有名な…名脚本家・市川森一さんの、1980年?…81年?…80年か、80年代入ったばっかりの頃の作品なんですけども、西田敏行さんが主演だったんですけど。
「港町純情シネマ」…これはワタシの家の隣の映画館が舞台だったんですよ。そこの映写技師が西田敏行さんっていうドラマだったんですけど、ここでもやはりね、銚子弁は…なんとか頑張ってるんだけど、ま…80年代ですから、まだまだ「あまちゃん」よりも何十年も前ですからね、日本全国どこが舞台であろうと、標準語でドラマが進むということに違和感がない時代ですね。
あとね、それこそ「あまちゃん」と同じ枠ですよね、NHKは朝の連ドラ、澪つくしってのがあって。この時は銚子の騒ぎがハンパじゃなくてですね(笑)。「澪つくし煎餅」澪つくし上履き」まで出ましたからね。上履きってのは、あの…教室で履く…ゴムで出来た…(笑)。今からみると、レペットのバレエシューズみたいで可愛いですけど。
そのぐらい「澪つくし・フィーバー」に町が沸き、終わった段階で、完全に銚子がクタってしまった(笑)…って言われる「澪つくし」でですね。
沢口靖子さんが主演で、で…なんとまあ、極東の町である銚子で、主人公っていうか重要なキャラクターにですね、関西を代表する明石家さんまさんがですね…奈良でしたっけね?あの人ね…が、銚子の人間って設定で出て来たんで、まあ〜まあ〜大変でですね。
まず関西弁じゃないだけでも大変なとこもってきて、疑似銚子弁みたいなのを、明石家さんまさんがお話になっていたので、何弁だかまったく分かんない…銚子の人間が観ると、ものすごい違和感(笑)…シュールなほどの違和感だったんですね。
なので、結局何が言いたいかっていうと、「銚子が舞台なんで、菊地さん、音楽をお願いします。」っていうスタッフの方…ドラマのね、映画でもいいですけど…その場合、「方言指導」を込みでオファーしていただければ、格安でやらせていただきます。
まあ(笑)…何てことはないんですけどね、TVドラマの音楽と方言指導を一緒にやった日本人が今までいなかったっていうことだけで、最初の人間になりたいっていうだけのことなんですけど。
やっぱね…「お前と俺があの日した事が、どれだけ大きなものか…分かってるんだろうな!」とか言ってるんですよ、銚子の人が(笑)。絶対言わないですよ、そんなこと。
「おめえとおれがあの日したごどが、どんだけいがいもんか分がっでってしょうよ!」って言わないと、これはやはりリアリティゼロですから。これはやっぱり…やらせていただきたいですよね。
ま、無いと思いますけどね、そんな話(笑)。「ラジオで聞きました。音楽と方言指導をお願いします。銚子が舞台です!」ってのが来たら、即受けて、そのまま製作過程を番組内で刻々と報告したいと思いますけども。
まあ…やっぱ無理ですよね。俳優さんはね、その都度その都度ね、一話だけの特別ドラマのために方言指導されてるわけにいかないですからね。
だからワタシ考えたんですけど、この段で言ったら逆に、今一番面白いのは、日本の第二公用語である大阪弁…ま、「吉本・松竹弁」…もしくは第二共通語と言っていいと思うんですけども。まあ、ほら…インドには公用語が幾つもあるとか言うじゃないですか。ま、第二公用語ですよね、日本のね。
あの大阪弁を、逆に大阪の…もう…通天閣の辺りとかを舞台にした、大阪出身の俳優さんだけでやるドラマを、すべて何の説明もなく標準語だけで通す映画とかTVドラマがあったら、かなり面白いと思うんですよね。シュールっていうかね。これ観たいですよね。ワタシの方言指導が無理ならば…という感じですよね。
え〜…ま、ほとんどどうでもいい話を長々としてしまいましたので(笑)…曲いきましょうか。
え〜…珍品です、これは。珍品マニアの間では知る人ぞ知る一品です。
ロックンロールなんだけども、中東・アラブ精神溢れるロックンロールっていうね。
ロックンロールっていう音楽は、非常にインフルエンスっていうか、世界中に広まった音楽なので、世界中…ま、アジアと言わずオセアニアと言わずアフリカと言わず…ロックンロールはあるんですよ。で、そのお国お国のロックンロールがあるんですけども。
さすがにね…まあ、中東っていうのは、タブーの中でもね、結構高い方じゃないですか。
チャールズ・チック・ガニミアンっていう人がいまして、この人はニューヨーク出身ではあるんですが、アルメニア系でですね、トルコ・アラブ…いわゆるあっちですよね…中東音楽を専門にしてた「ウード」っていう民族音楽の奏者なんですけども。
この人はベリーダンス用の音楽を演奏しながら、ロックンロールに接近していったんですよね(笑)。その結実した作品ですね。1958年ですから、もう…ロックンロールが一番いい年とも言えるわけですが。
中東風のロックンロールです。「Come With Me To The Casbah」というですね、結構早い時期に「カスバ」って言葉使ったと思うんですけどもね、これを聞いていただきたいと思います。
(曲)

Come with Me To The Casbah

Come with Me To The Casbah

…はい、ロックンロール+中東+「ウルトラQでしたね。これが方言ですよ!…CMです。

※文字起こしの「NAVERまとめ」あります。