「この5年間で、何を考え、何を感じ、何をしていましたか?」
TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」第250回放送は、3月11日に捧げるノンストップDJの回。
番組冒頭のメッセージと、アントニオ・カルロス・ジョビン「三月の水」の訳詞朗読の部分を文字起こししてみました。
祈りと音楽の確かな効用を感じられる60分となりました。
- アーティスト: エリス・レジーナ&アントニオ・カルロス・ジョビン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2015/05/20
- メディア: CD
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わざわざラジオのマイクを使って言うのも躊躇われるような質問ですが、今夜ばかりはこっそり…させてください。
「あなたは5年前の今日から、この5年間で、何を考え、何を感じ、何をしていましたか?」
5年という歳月は、特に何も考えず、特に何も感じず、特に何もしなくても、経ってしまう長さだとも言えるし、とんでもない重荷のように長く、辛い長さだとも言える。
ちょっと想像してみてください。
5年後のことを。
端的に言って、東京でのオリンピックは、もう終わっています。
もっと違うものが終わっているかもしれない。
もっと違うことが始まっているかもしれない。
私は57歳になる。あなたはいくつになりますか。
自分が楽しく生きている、という予感は?
自分が惨めに生きている、という予感は?
自分がそこそこ普通に生きている、という予感は?
自分が、そもそも生きている、という予感は? 死んでいる、という予感は?
お子さんがいらっしゃる方、一人だけで生きている方、5年前にあなたは現在のあなたを想像できていましたか。
10年前のあなたは現在のあなたを想像できていましたか。
20年前のあなたは、現在のあなたのことを、そもそも考えていたでしょうか。
これは本当は言ってはいけない事なんですが、あと数分もすると私は、テレビジョンの受像機に映し出され、人間が行う行為の中で、これ以上くだらない事があるのか…と思うほどの戯言を行い始めます。
「本当の本音を言えば、実は音楽があまり好きではない。」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。
「神の存在以前に、愛なんてこの世に無い。」と信じている方だって。
でも、今、ラジオ局のブースの中にいる私も、テレビジョンの中に映っている私も、「音楽がどれだけ豊かであるか」…つまり、「面白くて、深くて、くだらなくて、崇高で、軽くて、重くて…でも、あなたの人生を変えてしまうかもしれない」という事を、顔も見えないたくさんの人々に伝えています。
私の人生と仕事は、ある時からずっとそれだけになりました。
音楽はどんな音楽であれ、それは耳をつんざくような電子音楽であろうと、聞いたこともない国の伝統民謡であろうと、悪魔崇拝のような服とメイクで血糊を滴らせながら演奏されるグロテスクな音楽であろうと、基本的には人体…人の体も心も癒してしまう力を持っています。
わざわざ「ヒーリング・ミュージック」などと言わなくても、すべての音楽には治癒効果があります。
逆に言えば、音楽は治癒効果から逃げられない…とも言える。
それは、音楽というものが、第一には「現在…たった今あなたが聞いているということ」、そして「過去からあなたに向けて鳴らされているということ」、さらには「未来からあなたに向けて鳴らされているということ」…つまり三方向の時間がひとつになる…だからです。
思い出したくない人には、辛い記憶からの解放を。思い出したい人には、あらゆる甘苦いノスタルジーを。
忘れてしまっていた人には、瑞々しい記憶の蘇生を。
音楽は、過去と現在と未来に関する、あなたが望むものを、すべて叶える力を持っています。
わざわざラジオのマイクを使って言うのも躊躇われるような質問ですが、今宵ばかりはこっそり…させてください。
「あなたは5年前の今日から、この5年間で、何を考え、何を感じ、何をしていましたか?」
私の5年間は、私の務めである「音楽を作り、演奏する」こと、そして「この番組を毎週欠かすことなく続ける」ということでした。
今日お聞きいただく曲は1曲だけです。
最初のシーズンの最終回の最後に流した曲です。
ある曲に心を奪われてしまい、貪るように何十回と聴いた事が、あなたにもあるでしょう。
それによって胸やけがしてしまい、いっときその曲が聞きたくもなくなってしまった事があなたにもあるでしょう。
そして、さらに何年かして、あらためて聴いてみたら、やっぱり素晴らしかった…と思った事も、あなたにはあるはずです。
いろいろなすべてを…そういうふうに生きていくことは、恥ずべきことではない。
眠くなった方は、どうかそのままお休みください。寝ている間もこの曲は流れ続けて、あなたの夢の中に入り込み、音楽の効用を発揮し続けるでしょう。
泣きたくなった方は、遠慮せずにお好きなだけ泣いてください。そんな予感がする方は、今のうちに水分の補給をお忘れなく。
人間が感情によって流す水分は、涙だけではない。それらはすべて、解毒作用の産物です。
「同じ曲ばかりじゃないか!」と言って苛々したり、嫌がらせをしたくなった人は、ちょっとだけ我慢してみてください。
もしそれで、だんだん気持ちが良くなってきたら、それは現代人が忘れている喜びを、あなたが久しぶりに経験したということです。
お仕事中に流しっぱなしにすることも、コーヒーや紅茶を入れてゆっくり飲みながら、何かを忘れたり思い出したりすることも。
愛する人がいなければ一人だけで。愛する人がいたら、その人と一緒に。
歌詞を読み終えたら、番組の最後まで私は現れません。
この歌詞は、この曲の作曲家がポルトガル語と英語の両方で書いたものです。
ポルトガル語のほうは、ブラジルの原住民であるインディオの言い伝えを、英語のほうは、ネイティブ・アメリカンの言い伝えを元にして…つまり、両者の細部は微妙に異なっています。
英語のほうの翻訳を読みます。
カルロス・ジョビンがこの曲を作った時、40年以上も経った後に、地球の裏側の国で、「三月の水」が清められなければならなくなってしまう事、そして…それはやがて清められるという事を具体的に知っていたはずがありません。
音楽というのはそうやって生まれ、そうやって聞かれ、そうやって三つの時間…過去と現在と未来という区分けを消してしまう。
最後まで聞かなくてもいい。最後まで聞いてもいい。
わざわざラジオのマイクを使って言うのも躊躇われるような質問ですが、今夜ばかりはこっそり…させてください。
「あなたは5年前の今日から、この5年間で、何を考え、何を感じ、何をしていましたか?」
「三月の水」
枝 石ころ 行き止まり
切り株の腰掛け
少しだけ 独りぼっち
ガラスの破片
これは人生
これは太陽
これは夜
これは死
これは銃
この足 地面
この身と骨
道路の響き
スリングショット・ストーン
魚
閃光
銀色の輝き
争い 賭け
弓の射程
風の森
廊下の足音
擦り傷 瘤
何でもない
槍 釘 先端 爪
ポタリ ポタリ
この物語の終わり
トラックが運んでくる いっぱいの煉瓦
やわらかな朝日の中
銃声
丑三つ時
1マイル
やるべき事
前進 衝突
女の子
陰 風 おたふく風邪
家の予定
ベッドの中の身体
立ち往生した車
ぬかるみ
ぬかるみ
そして 川岸が語る
三月の水
人生の約束
心の喜び
浮遊 漂流
飛行 翼
鷹 鵜
春の約束
泉の源
最終行き
落胆した あなたの顔
喪失
発見
蛇 枝
あいつ あの男
あなたの手の中の棘
そして つま先の傷
川岸が語る
三月の水
それは 人生の約束
それは あなたの心の喜び
一点 ひと粒
蜂
ひと口
瞬き
禿鷹
突如の闇
ピン 針
一撃 痛み
かたつむり
なぞなぞ
狩り蜂
染み
枝
石ころ
最後の荷物
切り株の腰掛け
一本道
そして 川岸が語る
三月の水
絶望の終わり
心の喜び
心の喜び
心の喜び
この足
地面
枝
石ころ
これは予感
これは希望
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