「夫のダミ声を真似していたベティ。」

菊地成孔の粋な夜電波」第272回は生放送。
一時期マイルス・デイヴィスと婚姻関係にあったベティ・(メイブリー・)デイヴィスの発掘音源がオフィシャル・リリースされたことを受けて、急遽特集が組まれました。
「発掘音源から探る世紀の三角関係!」と題して、ベティとマイルス、それにジミ・ヘンドリックスという伝説の三角関係に関する逸話が紹介された、聞き応えのある回になりました。
シンガーとしてはダミ声の印象が強いベティの本当の姿に迫った、その解説の一部を文字起こししてみました。

Betty Davis(1st Album)(import)

Betty Davis(1st Album)(import)

はい。というわけで、先週に引き続いて生放送…にもかかわらず、マニアックな音楽企画。
時間までにレジュメ滑り込めるか、ハラハラしながら金曜の夜を御過ごしになるのも、たまにはよろしいのでは?
今夜の「菊地成孔の粋な夜電波」、ベティ・デイヴィスマイルス・デイヴィスジミ・ヘンドリックス…見事に韻が踏まれている三人の伝説の三角関係について、復刻盤から読み取る…というレクチャーごっこをしてみたいと思います。
音楽夜話をひとつ、お楽しみください。


(中略)


え〜…ま、そうですね。「マイルスとジミヘンは知ってるけど」あるいは「マイルスかジミヘンは知ってるけど」、ベティ・デイヴィスなんか全然聴いた事ねえや。」っていう方が、そうですね…まあ…少なく見積もっても80%ぐらいだと思うんですけども。
今夜の主役…というか、フォーカスポイントはベティ・デイヴィスになります。
もう1曲、先ほどのベティ・デイヴィスの…実質上のファースト・アルバムと言われているアルバムですね、これね。このアルバムは73年の作品です。
ちょっと時系列がね、あっちゃこっちゃ行くんで気をつけてくださいね。
73年にベティ・デイヴィスの1stアルバムが出ます。73年というのは、ジミ・ヘンドリックスは亡くなっています。それから、マイルス・デイヴィスベティ・デイヴィスは離婚しています。
マイルスも離婚し、ジミヘンも亡くなった後、ベティ・デイヴィスは1stアルバムをリリースします。
そのベティ・デイヴィスの声は、もうマイルスの真似をしている(笑)…というぐらいの、ダミ声なんですよね。
で、このアルバムは非常に豪華で、ベティ・デイヴィスはとにかく…いろんな才人が周りに集まってくる人いますよね。単なるパーティーピープルじゃなくて、ひとつのミューズ(女神)ですよね。
だから、ジミヘンだけじゃないんですよ。マイルスとの結婚中に、ジミヘンと長い不倫…長いっていうか、マイルスとの結婚生活自体が1年半ですからね(笑)。さほどの長さじゃないんですけど、ジミヘンと付き合ってたっていうね。
でも、マイルスはマイルスで…まあ、アメリカの婦人団体なんかからは、ブラックリスト載ってますから。マイルス…DVですからね、はっきりと。
なんで、マイルスにはぶん殴られるわ(笑)…ベティ・デイヴィスもちょっとビッチでジミヘンと…。ジミヘンの才能と淋しさみたいなものに惹かれたんですかね…付き合ってた、と。まあ、すべては噂ですけどね、どっちもね。なんか裁判の記録があるとかではないんですけれども。一般的にはそう言われています。
そんなベティ・デイヴィスですけれども、マイルスとも離婚し、ジミヘンも亡くなった後、誰と一緒にアルバム出すかっつーと、これがスライなんですよね(笑)。…しかもですね(笑)…楽しいな、こういうの。細かい話をするのは。あんまりしないから。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンを脱退したばっかりの、ドラムスのグレッグ・エリコって人がいて、この人もスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリズムの要だった人ですけれども。まあ…アルバムによりますけど。脱退したんですよ、73年に。
彼がこのアルバムをプロデュースしておりまして、で…ラリー・グレアム、これもスライ&ザ・ファミリー・ストーンのメンバーですけども。ラリー・グレアムはグレアム・セントラル・ステーションってバンドをやってたんですけどね。
グレッグ・エリコがプロデュースで、参加ミュージシャンにラリー・グレアム並びにグレアム・セントラル・ステーションの面子たち。いわゆる「ベイエリア関係」のオールスターたちですよね、音楽好き的に言うと。
今日、「何の話かわかんない。」って方も、ゆるゆる聞いてていただければ…という感じですよね。


(中略)


はい。…とまあ、このダミ声ぶりですけどね。
もうだいぶ時間が経っちゃったんで、気がつかなかったっつーか、「もう聞き忘れちゃったよ。」って方がいてもしょうがないんですけど。
元々喉がポリープでやられちゃってて、何歌ってもダミ声…ハスキーどころじゃないですね、もうダミ声でいいと思いますけど…ダミ声のままなんだ、という感じじゃないですね。この73年の「Betty Davis」は。
箇所によっては全然ダミ声じゃないんで。要するに、力むっていう時にあえて演舞的にダミ声を出してるんですよね。
これがさっきワタシが本で読んだ、「マイルスの遺産」っていうか、マイルスはまだ当時死んでないですけども、「マイルスとベティ・デイヴィス関係的な遺産」っていうかね…ではないかな?と思うんですよ。
というのも、こういうアルバムが…これをかけることが今日の主眼なんですけども。
今年、発掘音源として登場しました。
これ、ブラインドフォールでメンバー当てられる人…いますかね?
ブラインドフォールだよ。今は検索がありますから、サーッと検索して「はい、コレコレコレ!」ってやっちゃう人がいるけど、まあ…そういう野暮ったい事はやめてください(笑)。
「Betty Davis/The Columbia Years 1968-1969」ということで、コロンビアというレコード会社…これはマイルスがいたレコード会社ですけども。ここで実はベティ・デイヴィスはアルバム1枚録っています。
が、発売されず、シングルが1枚出たのみだったんですね。

The Columbia Years 1968-1969

The Columbia Years 1968-1969

(中略)

二重の驚きがありますよね。音楽ファンであればあるほど。
まず一つの驚きは…ブラインドされていない驚きですけど、のちに…まあ…二流のファンク・シンガー、ソウル・シンガー、ロック・シンガーとしてのベティ・デイヴィスのパブリックイメージからは考えられないくらい、可愛い・優しい声ですよね。
さっきも言ったように、ベティ・デイヴィスのダミ声が、演技だったという事が歴然とします、これで。
と同時に、まあ…結論めいた話を先にしちゃうのもどうかと思いますけども、このアルバムは結局出なかったわけです。コロンビア上層部が「発売に値しない。」と判断したんですよね。
なので、ひとつのベティ・デイヴィスの…屈辱体験になったかはわかりませんけど、こういうちょっとアンニュイな声でファンクサウンドに乗せて歌うっていうのは、ワタシ悪くないと思うんですよね。今だったらすごいいい、と思うんですけど。当時ダメだったんでしょうね。
それでまあ…これ68年から69年にかけてレコーディングされてますから、その4年後になりますけども、まだこの曲が録音された段階では、マイルスとも夫婦関係でしたし、ジミ・ヘンドリックスも生きてまして、ちょっと浮気なんかもしてました。
で、このアルバムは出ず、4年後にスライのメンツと一緒に、ダミ声を押し出すことで、キャラを立てた…という流れになってるわけですね。
ほんとに音楽は面白いな、と思うんですけども(笑)。