「『言葉とリズム』について鈴木孝弥氏と語る」

翻訳家の鈴木孝弥氏をゲストに迎え、「言葉とリズム」について語りに語った、「粋な夜電波」第40回。
今回も知的好奇心をくすぐってやまない、刺激的な放送でした。
前半のジャズとヒップホップが同じく「フロウ」という問題を扱ってきたという考察では、さすが幾多の大学で教鞭を執られてこられた菊地先生らしく、内容の濃い講義ぶり。
後半は、先週の放送でも度々朗読し、強く薦めていた「だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?」での鈴木氏の仕事に敬意を払いつつ、言葉を扱う上での独自のこだわりを聞き出す見事なインタビュアーぶりでした。
その、白熱した鈴木氏との対談部分の一部を文字起こししてみました。

だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?―ジャズ・エピソード傑作選

だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?―ジャズ・エピソード傑作選

菊地 まあ…我々はこう…日々たくさん翻訳された本を読むわけ…当たり前ですけど、原著がどうこうとか…要するに、最近は本読むのもみんな…ソースだけになっちゃって、あの…「いやあ、訳文が素晴らしいね」ていう香り高き時代も遠くなりにけりというような時代だと思うんですが、一般論的に言って。読んでて本当に気持ちいいなっていう翻訳ってのは、もちろん日本語の方の文章にもありますけども、やっぱり外来語っていうか、外国語をカタカナ表記する時の、デフォルトっていうか、フォーマット作りの情熱とか誠意とかっていうものが、全然最近問われてなかったんだな…っていうことを、鈴木さんの本を読んで、鮮やかに思い至ったんですよね。
鈴木 いや…、そんなに褒めていただくと照れくさいですけどね。
菊地 あの〜、今のところフランス発のジャズ本を三冊…。
鈴木 はい、そうですね。
菊地 これも日曜日時代に紹介させていただいたんですけど、「ジャズ・ミュージシャン3つの願い」…ニカ夫人の残したものを書籍化したもの。原著がフランスですよね。で…
鈴木 あとはボリス・ヴィアン…。
菊地 ボリス・ヴィアンのジャズ入門」。それから「だけど、誰が…」の三冊ですけども。…さっきもオンエア前にちょっと話したりしてもらったんで二重になりますけども、あの〜、「3つの願い」読んだ時に、ま、あれもちろん本が綺麗で、写真が豊富で、ジャズミュージシャン垂涎のね。どんなスーツ…ハンク・モブリーがどんなシャツ着てたんだとか…
鈴木 そうそうそう。
菊地 あと、サックス奏者見たら、「このマウスピース使ってたんだ、コルトレーンが」っていう喜びでドーンと来ちゃうんですけど、第一波は。…第二波、第三波でじわじわ効いてくるのが、要するに、まずキタのが、「ベース」を「ベイス」と書くと。ま、「ベ・イ・ス」と書くと。
鈴木 はいはい。
菊地 「ステージ」を「ステイジ」と書いていくと。ながらくジャズファンが「ディジー・ガレスピー」と呼んでた彼の名前を「ディジー・ギレスピー」と発音していくと…いうことの、気持ち良さというか。要するに、単語単位で、一個一個の単語になんかちょっと…。…例えば、これディスりギリギリ…ディスりじゃないですけど、例えば徳大寺有恒さんが「メルツェーデス」とか「ジャギュア」と言ったと。ああゆうような、なんかポツン、ポツンと何かいきなり本格的になるとかいうんじゃなくて、もうデフォルトを設定していく、っていうことが…、あの〜今、ものすごい気持ち良さを生むのだなあという気がしたんですよね。
鈴木 うーん。
菊地 で、その情熱ってのはなんとなく生まれてくるもんじゃなくて、やっぱちょっとギリギリ…半ば怒りっていうか。反体制的と言ってもいいような…。
鈴木 (笑)。
菊地 …鈴木さんは、まあ諧謔だと思うんですけど、アナーキストを自称されてるじゃないですか。
鈴木 ああ、はい。
菊地 そうした何かひとつの攻撃性ていうか、あの…、強さみたいなものをこう…。と同時に、とはいえ、書物はすごい軽くてエスプリが効いてて、読んでて気持ち良いものじゃないですか…。だからそこのバランスにこう…、うっとりしてしまったんですけれども。
鈴木 …まあ、アナキスト諧謔…、これは長くなるんで全然別のテーマですけど、諧謔っていうわけでもないんですけれども。ま、それともちょっと遠からずなんですけど…。
菊地 はい。
鈴木 僕がたまたまフランス語でジャズの本三冊訳したっていうのも、いわゆるそのフランスの物を訳す人っていうものに与えられてるパブリックイメージみたいな…。
菊地 はい、はい。
鈴木 日本だと、特にこう…。
菊地 ま、澁澤龍彦のことですよね(笑)。
鈴木 …い、いやいや。…ま、そこから始まりまして、いろいろなもの…、もそうですけど。
菊地 いっぱいありますよね。
鈴木 ありますね。その〜、ある種の格調とか、あとその歪んだ感じだったり、ものすごくこう…ギリギリのキワ物だったり、もしくはものすごい陶酔的なものだったり…、というのも、ある種の知性に裏打ちされた、いわゆる「」みたいなのがあるじゃないですか。
菊地 ありますね。
鈴木 で、僕はその…実は仏文科を出てるわけでもないし、全然その…語学学校で勉強したわけでもないので…。
菊地 はい。
鈴木 いきなり住みたくなっちゃって、行って…。
菊地 はい。
鈴木 ま、それはフランス映画の影響なんですけど。
菊地 え? 具体的には何の影響で行ったんですか? フランス映画っていっぱいありますよね。何十年代の何とかかんとか…。
鈴木 まあ、でもヌーヴェルヴァーグが一番そうでしたね。あと、ルノワールとかもそうだし…。とにかく作家といわれる映画というものをフランスの映画で学んだっていう感じですね。
菊地 なるほど、はい。
鈴木 で、そん時は色が付いてないのが、パリに行っても、もちろん今は…。あの時代の映画に色を付けたらこうなんだろうっていうぐらいの、同じ感じだったんで、ま、それでやられちゃったわけなんですけど。
菊地 はい。
鈴木 ま、それで暮らし始めると、フランス語ってのは完全に生きるための、生活のための道具なんで。
菊地 はい。
鈴木 もう…とにかく、道具として磨こう、っていうのはそっから始まったんですね。
菊地 なるほど。
鈴木 それでまあ、ジャズの本訳したってのは、日本に帰って来てみると、意外にその日本のジャズの専門家の方ってのはフランスのことにそんなに注意してないし。
菊地 そうですね。
鈴木 はい。それで、フランスの文献もまるでノーチェックなんで、「あ、んじゃ俺がやってみるか」っていう、ただそういうことなんですけど。つまり、その…道具である以上、これは磨かねばならなくて、あとはその…何かしら有名な先生に習ったとか…
菊地 はいはい。
鈴木 ある種のそのフランス文学者みたいな「学派」みたいなのがあるじゃないですか。
菊地 はい。まあ、フランス「」ですよね。
鈴木 (笑)…「壇」ですね。それは派閥があったり、もちろんそれは…絵を描く方の世界にも同じようなことがあって、音楽家の…
菊地 ありますよ。ジャズにもありますよ。非常にゆるい壇ですけど(笑)。…「金貸せ!」みたいな「壇」ですけど(笑)。
鈴木 (笑)…ま、だからフランス語の世界にもそういうのがあって、僕はなんにもそこに…あの…属してない…。
菊地 無頼だということですね。
鈴木 まあまあ…。
菊地 徒手空拳ということ…
鈴木 はい。…なので、自分でそのデフォルト作れるという。誰にも邪魔をされないし、手本もないし、もう基が自分が暮らすために必要だったスキルというか道具からですからね。ということで、なので…、日本語でカタカナで、例えばこの言葉はこういうふうに書いてるな…とかっていうものに、なるべく拘らないように、自分で作っていったっていうのが、自然なとこなんじゃないですかね。
菊地 なるほど。
鈴木 はい。
菊地 やっぱりその…さっき言ったサイトなんかには具体例が書いてありましたけど、びっくりするような表記がまかり通って、しかも定着しているわけじゃないですか。
鈴木 そうですね。
菊地 あの〜、鈴木さんは音楽的には、ルーツ・レゲエの本も出されていて、で、まあ、一番典型的な例が「ボブ・マーリー」なのか「ボブ・マーレー」なのか「ボブ・マーレイ」なのかっていうようなことから始まり、いろんな例が出てるわけですね。
鈴木 はいはい。
菊地 そうすっと、いかに日本語っていうのが、「はんなり」してるかっての逆証してるっていうか、「ベース」とかっていう、その何て言うんですか…たるいじゃないですか。「ステージ」とかっていうのは…。
鈴木 うんうんうん。
菊地 相当はんなりした大和言葉の感じで、要するに日本式に象られちゃってるわけですよね。
鈴木 そうですね。
菊地 だけどそれ、カタカナで「イ」って入れてあげれば、「ベイス」「ステイジ」って誰でも言うわけで。…と、小気味良さっていうか、その〜何て言うのかな、熱い物が下にあるんだけど、内に秘めてるんだけど、表面は非常にこう…シャキッと小気味良いっていう効果が出ていることに、ほんとびっくりしたんですけど。要するに、単純に今言った二つの力が働いてて、ストリートは無法地帯じゃないですか。
鈴木 はい。
菊地 で、一方訳す人達の間には、「壇」があるわけじゃないですか。
鈴木 うん、うん。
菊地 そうすると、ストリートにも「壇」にもこう…行き来できてね、それで、ちゃんと喋れんだけど徒手空拳で無頼だという立場からじゃないと、できないお仕事だと思うんですよ。今されてることは。でもそれってのはやっぱり、どっちも見渡せないといけないですよね。
鈴木 そうですね。
菊地 …それこそ、フランス壇みたいな人達は、下々の民が適当なカタカナで喋ってるってことに全く興味がないっていうか。だから自分達で作って、自分達で制度決めて、動かしちゃうわけで…。え〜、こっちでこんなこと言ってるよっていう…、まあ…なんだ、ミルフィーユって言わねえよ、っていう。
鈴木 (笑)。
菊地 あの…、面白かったのは、「ミルフィーユ下さい」って言うと、「女の子一万人ください」っていう…
鈴木 まあ、1000ですけどね。
菊地 あ、千だ、ミルだから。
鈴木 まあ、「いっぱい」っていう意味ですけど。
菊地 「たくさん女の子ください」っていうことになっちゃうんだと。
鈴木 そうなんですよね。
菊地 あの手のはね。よくある話で、それこそ昔から「ギョエテとは俺のことかと…」ってのもありますし、「堀った芋いじるな」とかね…。…あるんだけど、やっぱあまりにも、雑ですよね。…うん。…サイトで僕ちょっと言ったのは、昔、僕あの…インディ・レーベルの「レーベル」ってのを、要するに「ラベル」のことだと思っていなくて、なんとなく雑に「レーヴェル」って書いてしまったら…
鈴木 「LEVEL 1、LEVEL2」の…
菊地 そうそう。LEVELみたいな感じで、…レーベルって何にも知らない…もう無知、怠惰もいいとこで、…そしたらまあ、なんていうか…、ラニアのいる水槽に突っ込まれたみたいになって…
鈴木 (笑)。
菊地 (笑)。SNS…、ワーっと群がって来て、大バカにされて、…ま、こっちが完全に間違ってるんで、100パーこっちが悪いんで、分が悪いんですけど。あの、なんとか癪に触るんで、言い返せないもんかなと思った時に、相手が「FUJI ROCK」が好きで、ブログ見たら、「フジロック行った、フジロック行った」って書いてあるんで、「ああ、もう分かった」っつって。「俺は確かに雑な上に馬鹿だから、『レーヴェル』と気取って書いてしまったら、嘲笑を受けて、赤っ恥を晒したが、『フゥジ・ロック・フェスティヴァウ』って書かない奴に言われる筋合いはない」っつって…。あれはFUJI ROCKってのは正式名称が「フジ・ロック・フェスティバル」なので、もうすでに「B」の扱いになってるわけで、そこに文句…俺の影響力よりFUJI
ROCKの影響力がデカイだろう…っていう言い方をして、…っていうくだりがあるんですけど。そういうような、なんか泥仕合…ですよね。…が、ある中、デフォルトを示さないとダメなんだという…ことの気持ち良さを感じたんですよ。…と同時に、だからこそとも言えるんですけど、今言ってたのは「訛り」の問題があるじゃないですか。変形してしまうっていう。そこらへんに関して、…まあ今日はねえ、鈴木さん来たら、あれも話したいこれも話したいってことの十分の一も行けないと思うんですけど…。ちょっとこれを聴いていただきたいんですが…。あの、アフリカン・パーカッションなんですけどね。それこそ、日本よりもアメリカよりも、フランスで評価の高いものですけど。
(曲)
菊地 これドゥドゥ・ニジャエ・ローズっていって…。
鈴木 はいはい。
菊地 パーカッション・オーケストラなんで、古典ではなくて、オリジナルですけど。要するにアフリカの音楽の特長として…
(曲)
鈴木 僕、この人の息子さんが来た時、通訳したことあります。通訳っていうかお世話ですけどね。
菊地 ええと、シセですか?…ああ…いっぱいいますからね。
鈴木 いっぱいいますから。あの軍団が来た時ですかね。
〈中略〉
菊地 要するに、さっきの話の続きになっちゃうんですけど、なんでアフロ・アメリカンの人の音楽は、こうやって震えてるのかっていうことなんですよね。あの…、バッハもチャーリー・パーカーも、雑に聴くと同じなんですよ。すごい正確にやってると思われてるんですけど、さっきみたいにどんどん低速にしていくと、バッハはブレてないんだけど、チャーリー・パーカーは揺れてるんですよね。で、それが要するにアフロ・アメリカンの人の訛りっていうか、ま、当たり前ですけど、ピジン英語習って、アフリカ語捨てて、英語を入れなきゃいけないし、要するにこう…無理くり二つをひとつにした人達の末裔じゃないですか。だから基本的にフロウがもう入ってると思うんですね。
鈴木 うんうん。
菊地 それはね、結局アフリカの中でコスモスとしてもう最初からあるもので…。…えとね、一拍を三で割ってる人と四で割ってる人と五で割ってる人が同時に演奏できるってのが、アフリカの普通の状態なんですね。
鈴木 ポリリズムですね。
菊地 そう、ポリリズム。それが…
(曲)〈中略〉
菊地 …こう一拍に対して、1、2、3…ってのを、タンタンタンタンタンっていう人と、タンタンタンタン、タンタンタンタンっていう人と、タンタンタ、タンタンタ、タンタンタっていう人が、同時にやるとこう…バラついてて、聴くとね、なんかこうただ訛ってるように聞こえるんだけど、その訛ってる状態ってのはこう…、一個の単位を最小単位を何等分するかっていうのを、いろんな等分にした人がこう…同時に発声しちゃってるんで、それでパラパラパラパラ…っていうふうに聞こえるんだってのが、まあ、アフリカン・パーカッションのほんとのとこだと思うんですよね。
鈴木 ええ、ええ。
菊地 もちろんそんな風に考えてなくて、ただ生理的にやってんだけど。こっちが、後から構造的に見た場合、そうなるわけなんですよ。
…それで、これはメールでも紹介しましたけど、最近…さっきちょっと出た、SIMI LAB(シミラボ)っていうグループが出て来て…
鈴木 はいはい。
菊地 彼らは、純日本人の人もいるんだけど、ラップやってる三人のうち二人はミックスなの。それで…ま、これパッと聴くとですね…

Page1:ANATOMY OF INSANE

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(曲)
鈴木 …これ空耳ですか?
菊地 これは空耳…っていうか、全部リリックそのまま言ってますね。(中略)…出て来た時、すごいセンセーショナルで、外人が日本語でやってると思われた。
鈴木 うん。
菊地 っていう感じなんですね。で、確かにまあ、パッと聴きそう聞こえて…、いわゆる日本に住んでる外人タレントの人の日本語みたいな感じだな、みたいなね。それが…あの、普通、笑える感じになってくじゃないですか。ボビー・オロゴンとか面白いわけ…ま、ボビー・オロゴンだけじゃないけど、誰でもコミカルなわけなのね。だけど、そうじゃなくて、そのテイストがものすごくカッコ…クールなんだっていう感じに聞こえたっていうことが、結構衝撃で。…ところが、衝撃はもう一個あって、彼らはミックスであり、しかもこのラッピングであるにもかかわらず、英語が喋れないんですよ。
鈴木 うんうんうん。
菊地 (笑)。
鈴木 いや、僕も、この人達のことちょっと気になってて…。
菊地 はい。
鈴木 でまあ、ele-kingのサイトのインタビューとかも読んだんですけどね。結局、その…彼らの一番、僕が個人的に面白いのは、英語が実は喋れそうで喋れないっていうところの、それは本人達はすごくコンプレックスみたいなんですけど…。
菊地 「英語を呪ってるよ」って言ってましたからね。
鈴木 うん、そうですよね。で、彼らの面白いのって、こう…インディペンデントで全然その外部のプロデューサー使ってないとか、まるで自分達で全部を作ってやったと。で、僕これ…菊地さんもブログで書かれてましたけど、富田克也監督の「サウダーヂ」…
菊地 「サウダーヂ」、はいはい。
鈴木 「サウダーヂ」の映画と彼らのSIMI LABの音楽が去年出て来たのが、頭の中ですごい去年のものとして…なんかシンクロするっていうか。
菊地 そうですね、うん。11年の日本のラティーノ・カルチャーの極点っていうか、その…すごいことだったと、僕思うんすよ。
鈴木 そうですね。…あの映画も結局ね、資金も自分達で調達して、制作はもちろんですけど、国際映画祭出品したりして、あと配給とか宣伝とかも自分達でしょ?
菊地 はい。
鈴木 だからこのSIMI LABと「サウダーヂ」の映画ってのは、どちらもその今までの既存の流通とか経済的な問題もそうですし、作り方とかが全然違ってて…。で、SIMI LABに関して思うのは、彼らがその…ルックスがね、例えば黒人との混血だったから、絶対英語喋れそうで、日本語が逆に喋れないんじゃないか、みたいなのを思われそうなの人が、クラスにいたりすると、当然苛められたりとか…。そういうのがあって、こう…既存のメディアって、そういう人達がいるんだよってのを問題として扱うけど、その人達の…その…自然の存在を、あまりクローズアップしてこなかった。それがあまりにも長い間続いて、で、それが今聴いたラップみたいな作品としてものすごい自発的に出て来たってのが、すごいなって思いますよね。
菊地 そうですね。要するに…あの…、欧米だとラティーノっていうカルチャーの領域があって…
鈴木 うん。ちゃんと昔からありますもんね。
菊地 昔からある。だからそこに突っ込んどけば良かったような問題が、日本にはその箱が無い…
鈴木 無かったんですよね。
菊地 無いんですよ。あっても、在日の…韓国人の方々の問題だけに、なんか過集中してて、真の意味でのラティーノっていうか、ほんとの混血…ムラートムラートしていくっていうことの箱が無かったのが、ま、初めて出て来たっていう感じですね。
〈中略〉
鈴木 …だからやっぱりこれは、今までになかった響きを結果的に生んでるってことでしょうね。
菊地 そうなんですよね。
鈴木 だからその…、自分達がある程度マイノリティだと思われたりして、でもホントは日本人なのに…っていうような葛藤があって、そういう人達が自分達の表現を見つけたっていうのが価値だとさっき言いましたけど。…でも例えば自分の片方のお父さんだったらお父さんが、アメリカの人だったりアフリカの人だったりすると、結局自分は日本人なのに、彼らの場合は他の国にも自分の故郷があるわけじゃないですか、「血」的なね、血統的な。…そうすると、そっちの方も半分自分の中にあるっていうことを意識するし、だからラップが折衷的になっていくってのは、彼らの場合すごい自然なことで、だからそれが、期せずしてそのカッコいい英語という…聞こえる、もしほんとに彼らが英語喋れないにしても、結果的にそう聞こえちゃうっていうのが、すごい美点で、だから…僕は…ちょっと穿った見方かもしれないんですけど、さっきみたいに聞いてると…「これってこうなんか違うように聞こえるだろ?」っていうふうに、迫ってくるっていうんですかね。メッセージ的に。…そんなこと言ってないんだけど、その彼らの聞こえる、耳にくる聞こえ方が、「ほら、何か違うもんに聞こえるだろ? でも日本語だよ」みたいな。
菊地 はいはい。
鈴木 で、その裏にまたさらに穿って考えると、「俺達って違う国の人に見えるだろ? …でも日本人だよ」っていうような、メッセージがすごい背中合わせにあるみたいで…
菊地 アンビヴァレンスですよね。
鈴木 それはものすごい新しくて、ショッキングでもあり、ものすごい説得力があるなって気がしますね。
菊地 その強さを感じますよね。
鈴木 そうですね。
菊地 僕がそういった力のあり方を…鈴木さんのお仕事から感じるんですよ。
鈴木 うーん。
菊地 さっき言ったみたいに、図式的には権威作りであるかのような仕事でもありますよね。要するに、適当に俗化された曖昧なものを正すわけだから。
鈴木 いちおうそれを示すわけですからね。
菊地 そうそう。なんだけど、そう見えないですよね。さっき言ったみたいに、正すんだけども、反権威に見えるっていうところに、要するにすごいアンビヴァレンスなわけで…
鈴木 (笑)。
菊地 で、しかもさっき言ったように、やっぱり、今やりとりしたニュアンスで分かるんだけども、「こだわりオヤジがイタイ」ってのは、十分知ってるわけじゃないすか。
鈴木 そうなりたくないんですけどねえ。
菊地 なりたくないんですよね。…いや、全くなってないと思うんですけど、なりたくないですよね…。

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