「川勝正幸さんに捧げた夜電波。」

先日の「粋な夜電波」。川勝正幸氏の突然の訃報を受けての追悼番組になってしまいましたが、故人への愛に溢れる大量のメッセージが紹介され、感動的でした。
自分は恥ずかしながら、川勝さんのことをあまり詳しく知っておらず、有名なライターであり編集者の方が、不幸にも火災事故で亡くなってしまったらしい…と認識したぐらいで、大きなショックを受けるには至りませんでした。
しかし、今回の放送を聴いて、これだけ多くの人に影響を与える仕事をされてきたという功績、しかも誰ひとりとして川勝さんのことを悪く言う人がいないという、愛される人柄のことを知り、今さらながら川勝さんという人に強く興味を持ちました。
遅ればせながらも、これから少しずつ、川勝さんの著作などに触れ、氏が紹介してきた音楽や映画などのカルチャーを吸収していくことができればなと、思っています。
そして、川勝さんも愛してやまなかったこの「粋な夜電波」という番組が、少しでも長く続いて、ポップカルチャーの紹介者としての川勝さんの役割の一部を、菊地成孔氏が引き受けていってくれることを望みます。
以下、番組冒頭部分を文字起こししました。

21世紀のポップ中毒者

21世紀のポップ中毒者

お寒うございます。貴方だけ今晩は。「菊地成孔の粋な夜電波」、パーソナリティの菊地成孔です。
え〜、さる1月31日未明、エディター、そして偉大なるポップホリック川勝正幸さんが亡くなりました。
本日は節分ですので、「特集・節分 恵方巻ジャズ、あるいはジャズ恵方巻〜逃げて行け、赤鬼青鬼透明鬼〜」をお送りする予定でしたが、番組内容を急遽変更させていただき、スペシャルプログラムとして、番組全体を川勝正幸さんに捧げたいと思います。
当番組のみならず、これは図らずも…ですが、本日この後22時よりオンエアされます、大根仁さんの「Dig」も、ゲストに川勝さんと縁の深い方々がお集りになって故人を偲ぶという内容になっておりますので、こちらも合わせてお耳を拝借いただければと思います。今夜の「Dig」が「愛とユーモアとパンクスピリッツ」に溢れた特別な回になることを信じています。
故人を知るすべての方々から多大なる同意をいただけると信じて疑いませんが、ワタシはいまだに川勝正幸さんが亡くなったのだという事実を受け入れ切れずにいます。それが何より証拠にはですね、…これはあまり良くない証拠ですが、訃報を受けてから今現在に至るまで、悲しみの感情がありません。
後でドサッとまとめて、あるいはゆっくりと少しずつ実態を現す…はずです。じっくりと付き合おうと思っています。
川勝さんが遺された非常に豊かな…と言っていい…、「豊かな」と言うのが陳腐なほどの、我が国のポップカルチャーにおける、信じ難いほど多岐にわたる、しかもナチュラルで、しかも非常にジェントルな業績を、履歴書のごとく…ですね、まとめて紹介するなどという大それたことは、ワタシには到底不可能ですし、川勝さんとの個人的な親交に関して、昔話のようにしてですね、懐かしくマイクの前で話すということは、少なくとも今現在のワタシには…不可能であります。え〜、無理…というやつですね。
何事もなかったかのように、いつもの通り番組を行なうことが、この番組を初回から一回も欠かさず熱烈に聴いてくださった、リスナーとしての川勝さんに対するベストウェイであることはよくわかっています。よくわかっているのですが、これはあの…ラジオパーソナリティとして大変お恥ずかしい限りなのですけれども、今回台本が全く…ほとんど何も書けませんで、先程申し上げた…川勝さんが死んだと思っていないという…一種の乖離ですね、これね。これによる症状のひとつだと思うんですが、とにかく…まあその…、全くと言っていいほど、無力になりまして。
え〜、そういうわけで、皆様から川勝さんへのメッセージや思い出などを送ってくださるよう、それをもって当番組からの献花に代えさせていただきたく、お力添えをお願いした次第です。今、目の前に、たくさんのメールがあります。現在の気持ちは…まあそうですね(笑)…「幸せの黄色いハンカチ」の倍賞千恵子のそれと…ラストシーンの方ですね…、それとかなり近いのではないかと…。本当にありがとうございます。
え〜、しかし…ですので、放送時間内にすべてを読むことは不可能であることは、もうこれスタジオに今日入った瞬間から明らかでしたので、あらかじめおことわり申し上げますが、せっかくお願いして頂戴したのにもかかわらず、番組内で読めなかったという無礼があった場合、どうかお許しください。…場合によっては、ぼーっとしてワタシ、一通も読めないかもしれません。ほんとにその…申し訳ありません。自分のコントロールがね…、はい。今夜ばかりはその…。
知己ある方々からいただいたお便りを、もし読み残した場合ですね、ワタシ直接スタジオまでうかがって、「Dig」のスタジオに直接行き、大根さんに託しますので。それはお約束します。
はい。ワタシ…思い出話は8年間分程度はあるんですが、え〜、1点のみ。ワタシは欲深く、育ちが悪く、明らかに呪われているので、やり過ぎるくらい仕事をしてしまいます。ちょうどワタシが歌舞伎町に越して来た8年前に、初めて川勝さんにお会いしてから、お亡くなりになられるまでのこの8年間。すべてのワタシの、一個人にはフォロー不可能と一説には言われるところの、ひとつ残らずすべてのライブ、すべてのイベント、すべての著作、すべてのブログ、すべての媒体への露出…を、すべて自腹で押さえた個人は、地球上で川勝正幸さんだけだったのではないかと…思います。
何度一緒に対談イベントをやったか、何度一緒に飲み食いしたかは、勘定できません。
え〜、そんな川勝さんが、当人であるワタシが見てもはっきりわかるほどにですね、…ま、癪にさわるほどと言っていいほどの、無邪気に、最も熱狂的に愛してくださったのが、この番組でした。「…久しぶりにラジオ番組で感動しました。」とか言われちゃったワタシの心は、もう少女のようでした。
ま、ワタシはその…この番組で、自分が川勝さんの追悼をしているということが今でも…信じられません。
……放送事故になるといけませんので、只今より番組終了までの間、ノンストップで音楽を流し続けることにしました。選曲の方はなんだかこう…ずっとね、ふーっとこう…なんか導かれるように出来てしまいまして。ま、音楽だけがワタシを普通に動かしているようであります。
「あっちがかかって、こっちがかからねえのか!」という事態を招いては無粋ですので、川勝さんが具体的に関わった、川勝さんゆかりの音源は、自分関係も含め、すべて控えさせていただきました。しばらくの間そういった音源は、あらゆるラジオ、あらゆるブログが、世界中に召還して呼び覚ますでしょう。また、リンチ、バダラメンティ、ギンズブール、デニス・ホッパー周りといったですね、川勝さんがお好きだということを公言されていた、いかにも川勝さんの…という感じの音源も、すべてカットさせていただきました。それはワタシの役回りではないと思っています。
これは川勝さんとのお付き合いの中で、一度も申し上げたことはもちろんありませんが、川勝さんは50代を目の前にしてですね、今まで自分が築き上げられた、その…膨大なポップカルチャーの教養、その外側にある自分が知らないこと…、え〜、ま、その…金の鉱脈ですね、その金の鉱脈と、自分が今まで知っていた、自分が培ってたものを繋ぐパイプ…の役割をするヤツが現れたなと…思ったんじゃないかと…、思ってます。もし違かったら川勝さん、「違います」と言ってください。もし、それが合っていたら、いつもの通りニタッと笑ってください。
それではまず最初に、1928年に作曲された、オリヴィエ・メシアンのオルガン曲「天上の宴」のメシアン自身による自演と、1974年にマイルス・デイビスデューク・エリントンの訃報を受けて作曲した、「He Loved Him Madly」…「彼は彼の狂気を愛した」という曲のミックスを4、5分間だけ聴いていただいて、コマーシャルに入ります。
え〜、メシアンとマイルス。かたや熱狂的なキリスト教徒が作った、かなり具体的な神々の宴。かたや自らを神と信じていたとしても、まあおかしくないであろう無宗教のエゴイストが作った、あらゆる宗教儀式の中の、弔いのイメージをこう…混濁させたファンタジーと、このシンメトリックなミックスをお聴きください。粛々としたサウンドは、この最初の5分間のみです。…それでは。


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村